明治42年、幻の三津浜築港

前回のつづき)明治42年(1909)7月13日、県知事・安藤謙介が出席して三津浜築港起工式が盛大に執り行われた。『愛媛県史』はこの日の模様を次のように描き出している。

三津浜築港起工式は、明治四二年七月一三日、盛大に挙行された。町内の家々には、新調の白地に浪と「三」の字の模様の旗が掲げられ、国旗・提灯・作花などで満街飾を施し、港内停泊の船舶はいずれも満艦飾の景況であった。海上には無数の浮樽をもって築港の模型が示され、町内の寺院は午前四時と正午を期して一斉に鐘をつき祝意を表した。式場には文武官・民間など無慮五〇〇余の来賓が参列、午前一〇時烟火の打ち揚げとともに開式され、地鎮祭、築港設計報告、知事以下の式辞のあと、重だった者が小舟に乗って沖合に進み、礎石を沈下させて式を終了した。式典終了後、宴会に移り余興など催し物が延々と続き、この日三津浜町民は夜を徹して祝典に酔った。(『愛媛県史 近代上』第二章第八節)


この祝典からわずか2週間ほどのちの7月30日、県知事・安藤謙介は桂内閣から休職を命じられた。不偏不党であるべき地方長官の本旨を逸脱しているというのがその理由であった。安藤は三津浜によほどの執着があったのだろう、知事公邸を引き払ったあともなお3日間、三津浜に滞在したうえで愛媛を去った。その後、事態はさらに展開、9月26日、三津浜町長、町会議員ら11名が起工式の費用の一部を町民に強要したという疑いで逮捕、10月13日には政友会の藤野政高が詐欺の疑いで逮捕され、県民の注目を集める一大疑獄事件へと発展した(三津浜築港疑獄事件)。公判では三津浜町の11名は全員無罪となったが、藤野は懲役1年6カ月・執行猶予3年を宣告され、政界を引退した。安藤知事在任時の土木事業計画は後任の知事のもと大幅に縮小され、三津浜築港は中止となった。「安藤(行灯)消えて三津暗し」、人々は当時の三津浜をそう評した。幻の三津浜築港、隣接の地・高浜に開かれた港が隆盛に向かうなか、旧態のままの三津浜港の地位低下は避けがたいものとなった。(次回に補足記事)

【参考文献】
井上要『伊予鉄電思ひ出はなし』伊予鉄道電気社友会 1932年9月
愛媛県史編纂委員会編『愛媛県史 近代上』1986年3月
島津豊幸『史論とエッセー 絵馬と薫風』創風社出版 1990年5月
松山市史編集委員会編『松山市史』第3巻 1995年5月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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