「九月十四日の朝」-子規庵の庭の糸瓜

「九月十四日の朝」は正岡子規が死の5日前に虚子に口述してなした1300字ほどの短いエッセー。この日の朝の光景を綴ったもので、文中には庭の糸瓜の葉が揺れて、秋冷が心地よいとの記述が見える。以下、このエッセーの一部。

今朝起きて見ると、足の動かぬ事は前日と同しであるが、昨夜に限って殆ど間断なく熟睡を得た為であるか、精神は非常に安穏であった。顔はすこし南向きになったまゝちっとも動かれぬ姿勢になって居るのであるが、其儘にガラス障子の外を静かに眺めた。時は六時を過ぎた位であるが、ぼんやりと曇った空は少しの風も無い甚だ静かな景色である。窓の前に一間半の高さにかけた竹の棚には葭簀が三枚許(ばか)り載せてあって、其東側から登りかけて居る糸瓜は十本程のやつが皆痩せてしまうて、まだ棚の上迄は得取りつかずに居る。花も二三輪しか咲いてゐない。正面には女郎花が一番高く咲いて、鶏頭は其よりも少し低く五六本散らばって居る。秋海棠は尚衰へずに其梢を見せて居る。余は病気になって以来今朝程安らかな頭を持て静かに此庭を眺めた事は無い。(中略)虚子と共に須磨に居た朝の事などを話しながら外を眺めて居ると、たまに露でも落ちたかと思ふやうに、糸瓜の葉が一枚二枚だけひらひらと動く。其度に秋の涼しさは膚に浸み込む様に思ふて何ともいへぬよい心持であった。何だか苦痛極って暫く病気を感じ無いやうなのも不思議に思はれたので、文章に書いて見度くなって余は口で綴る、虚子に頼んで其を記してもらうた。


死の前日、子規がしたためた「絶筆三句」はこのエッセーでも言及されている糸瓜を詠んだものであった。

糸瓜咲て痰のつまりし佛かな
痰一斗糸瓜の水も間にあはず
をとゝひのへちまの水も取らざりき


これを詠んだ9月18日は旧暦8月17日。旧暦8月15日の夜に取った糸瓜の水は痰切り、咳止めの薬になるという俗信があったので、後の二句にはその糸瓜の水が詠まれている。上のエッセーに記すとおり、子規庵の庭には女郎花、鶏頭、秋海棠などもあったが、子規が辞世を意識して句に詠んだのはどこかユーモラスな糸瓜であった。9月19日の子規の忌日はその糸瓜にちなんで「糸瓜忌」とも呼ばれている。

【参考文献】
『子規全集』第12巻(随筆2)講談社 1975年10月

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テーマ : 歴史上の人物
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