ケーベル先生

哲学・西洋古典学を東京帝国大学で長く教えたラファエル・フォン・ケーベル(1848-1923)は、多くの学生に慕われた理想的な教師であった(昨日のブログ記事参照)。

文科大学(注-東京帝国大学文科大学)へ行って、此処で一番人格の高い教授は誰だと聞いたら、百人の学生が九十人迄は、数ある日本の教授の名を口にする前に、まづフォン・ケーベルと答へるだらう。斯程(かほど)に多くの学生から尊敬される先生は、日本の学生に対して終始渝(かは)らざる興味を抱いて、十八年の長い間哲学の講義を続けてゐる。先生が疾くに索寞たる日本を去るべくして、未だに去らないのは、実に此愛すべき学生あるが為である。(夏目漱石「ケーベル先生」)


西田幾多郎(1870-1945)はケーベルにそれほど親炙したほうではないが、「哲学者は煙草をすわなければならない」というケーベルの教えだけは実行するようになった。

私が先生についたのは、僅に先生が日本に来られた最初の一年間位のことであり、かつ初から先生と傾向を異にしていた私は、先生の教について今日まで何一つ実行したものがない。唯先生は私が煙草をのまぬのを見てPhilosoph muss rauchen.とからかわれたが、今は煙草だけはのむようになった。しかしそれだけ私の真似できない多くのものを有っておられた先生が尊かったように思われる。(西田幾多郎「ケーベル先生の追懐」)


波多野精一(1877-1950)はケーベルによって真に哲学に導かれたという。

私自身にとっては先生こそ真に哲学へ導いた師であったことは、その後のあらゆる変遷や発展を通じて私がいつも感謝を以て想い起す学生時代の体験である。(中略)しかしながら先生の本質は学問や哲学には尽きて居なかった。すべての専門すべての一技一能――先生が音楽に堪能であったことは人の知る通りである――を超えて先生において尊かったものは、先生の人格である。けだし先生のような円熟した個性をそなえた人は稀に見る所であろう。(中略)私は今不思議の魅力を有した先生の人格の秘密を探求しようとも啓示しようともする者でない。しかし先生には学者とか君子とか有徳の士とかいうような窮屈な型を超越して広いのびのびとした処があったことは誰しも感附かずには居られなかった。今私の感じ得た所が正しいならば、先生にとっては生そのものが芸術であり自己の人格自己の個性そのものが極めて尊き神聖なる芸術品であったのである。先生が教養に重きを措き自らも深き広き豊かなる教養をそなえられたのもそのためである。(波多野精一「ケーベル先生追懐」)


波多野は毎年、ケーベルの命日になると師の写真を取り出し、一日机上に飾っていた。ケーベルを師としたことに誇りを持っていて、「自分の先生はケーベル先生の他にはない」と語っていたという。

久保勉(くぼまさる 1883-1972)はケーベルを「自身の哲学を生きた人」であったと述べている。

ケーベル先生は一方において哲学や文学の広い領域に通暁しかつ到る処で独自の見識をもった学者であると同時に、他方においては才能を恵まれた芸術家でもあった。しかし先生にあっては多くの芸術家や学者に見られがちな学者臭とか芸術家臭とかいうものはみじんもなかった。先生は哲学者即ち愛智者であった。智慧を愛する者として先生は実生活の上でも真剣に智慧の指示に服従し、その具現に努めた。言いかえれば先生は自身の哲学を生きた人である。実際先生にあっては、哲学即生活(ロゴス即ビオス)であり、両者は相即不離の関係にあったのである。(久保勉訳編『ケーベル博士随筆集』巻末解説)


久保はケーベルの晩年、十数年にわたって起居を共にし、師の死去まで忠実に仕えた。その献身的な仕えぶりにケーベルの他の弟子たちからも感嘆の声がもれたという。

【参考文献】
久保勉訳編『ケーベル博士随筆集』岩波文庫(改版) 1957年11月
『漱石全集』第12巻 岩波書店 1994年12月
上田閑照編『西田幾多郎随筆集』岩波文庫 1996年10月
竹田篤司『物語「京都学派」-知識人たちの友情と葛藤』中公文庫 2012年7月
波多野精一『時と永遠 他八篇』岩波文庫 2012年8月

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テーマ : 歴史上の人物
ジャンル : 学問・文化・芸術

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