子規、ハルトマンの哲学書で漱石を恐れさせる

学生時代の一時期、哲学に凝っていた正岡子規はパリにいた叔父加藤拓川(恒忠)に頼んで美学のドイツ語原書を送ってもらい、これを友人らに得意になって見せびらかした。難解な哲学書をふりまわす子規に「僕などは恐れをなしていた」と漱石はのちに語っている。

彼は僕などより早熟でいやに哲学などを振り回すものだから僕などは恐れをなしてゐた。僕はさういふ方に少しも発達せずまるでわからん処へ持って来て、彼はハルトマンの哲学書か何かを持込み大分振り回してゐた。尤も厚い独逸書で、外国にゐる加藤恒忠氏に送って貰ったものでろくに読めもせぬものを頻りにひっくりかへしてゐた。幼稚な正岡が其を振り回すのに恐れを為していゐた程こちらは愈々幼稚なものであった。(夏目漱石「正岡子規」)


送ってもらった書はハルトマンの『美学』。子規はドイツ語ができないので、ドイツ語に堪能な幼なじみの三並良の助けを借りてこの書を読もうとした。が、語義はわかっても内容は少しもわからず、二、三枚読んだだけで諦めてしまったという。

審美学の書物見たしと思ひ丸善などをあさりしに審美の書めきたるは一冊も無し。わざわざ外国にある人のもとに頼みやりて、何か審美学の書物をといひしに、ハルトマンの審美学をおこしくれたり。嬉しさに其本を携へて独逸語を知る友人の許へ行き、初めより一字一句読みてもらひしが、さて字義ばかりは分りても、分らぬは全体の意義なり。二三夜通ひて二三枚読みしが少しも分らぬに呆れはてゝ終に其儘に打ち棄て置きたり。(正岡子規『随問随答』八)


その後、『柵草紙』誌上に森鴎外の訳でハルトマンの『美学』の連載が始まった(『審美論』の題)。子規はこれも読んだが、訳を読んでも一向にわからなかったと述懐している。

然るに其後のしがらみ草紙にハルトマンの審美学の訳を載するの広告あり。此時もいたく喜びて、急ぎ買ひ読みしに、再び失望し了りぬ。しがらみ草紙の訳は原書を一字一字訳したる者故、訳の正確なると同時に、原書にて分らぬ一章一節の大意は訳文にても一様に分らぬなり。吾はしがらみ草紙を抛ちし以後再び審美書を手にせざりき。(正岡子規・同上)


ドイツの哲学者エドゥアルト・フォン・ハルトマン(1842-1906)。鴎外は一時期このハルトマンを信奉し、「書籍の形したる我師なり」とまで言ったが、子規にとっては縁遠く理解しがたい哲学者であった。余談になるが、東京大学はこのハルトマンを哲学の教授として招こうとした。だが、ハルトマンは自身に代わる旧知の間柄の人物を推薦して東大のその任に就かせた。これが夏目漱石、西田幾多郎、波多野精一、九鬼周造、和辻哲郎、安倍能成、久保勉らの数多の教え子に深い精神的影響を与えることになるラファエル・フォン・ケーベル(1848-1923)である。

【参考文献】
『子規全集』第5巻(俳論俳話2)講談社 1976年5月
『子規全集』別巻2(回想の子規1)講談社 1975年9月
小堀桂一郎『森鴎外』ミネルヴァ書房 2013年1月
濵田恂子『入門近代日本思想史』ちくま学芸文庫 2013年2月

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ
にほんブログ村
にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 松山情報へ
にほんブログ村

テーマ : 歴史上の人物
ジャンル : 学問・文化・芸術

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
QRコード
QRコード