「つねき」とも呼ばれた子規

正岡子規は本名常規(つねのり)、幼名升(のぼる)。周囲からは「のぼさん」と呼ばれたが、叔父の加藤拓川は「つねき」と呼んでいたという。

正岡子規の本名は常規ですね。あの「つねのり」を加藤拓川は「つねき、つねき」と言っておりました。「つねのり」と言わないで「つねき」、音読と訓読をまぜた変な読み方でありますが、そういうことを親戚の中でよくやっていたのかもしれません。(子規の縁戚・服部嘉香「子規と古白と拓川」『加藤拓川』所収)


上京の志のあった子規を東京に呼び寄せたのはこの拓川であった。明治23年(1890)、まだ学生であった子規はパリにいたこの叔父に頼んでハルトマンの『美学』のドイツ語原書を送ってもらった。子規はドイツ語が読めなかったが、叔父からのこの本を漱石らの友人に得意になって見せびらかしたという。

【参考文献】
畠中淳(編著)『加藤拓川』松山子規会 1982年2月
ドナルド・キーン 角地幸男訳『正岡子規』新潮社 2012年8月

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テーマ : 歴史上の人物
ジャンル : 学問・文化・芸術

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