港山が「島」であった時代

▼ 西港山(左)・東港山(右)
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三津浜港の入口に位置する東西の港山。江戸時代から明治時代にかけて、この山の北側一帯(画像では山の背後)は塩田であった(新浜塩田という名称)。塩田ができる以前は、いわゆる塩入荒野状態で満潮時になると一帯が海水で覆われていたらしい。

戦国時代、西港山には「湊山城」と呼ばれる城郭が設けられていたが、この時代、東西の港山の北側は海水の流れ込む塩入荒野、南側はもとよりの三津の海で、山全体がいわば島状をなしていた。「湊山城」はこの山が「島」であった時代にこれを要塞化した海城(うみじろ)だったのである。

【参考文献】
山内譲「伊予国三津と湊山城」(「四国中世史の研究」第7号 2003年8月)

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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