夏目漱石、松山の悪口を言う

子規の縁戚の服部嘉香が初めて夏目漱石に会ったとき、漱石は盛んに松山の悪口を言ったという。

私が初めてお会いしたのが明治四十年の春ぐらいでありましたでしょう。行きましてか何かの話から松山だということがわかりますと、君も松山ですかと珍しげにいって盛んに松山の悪口が出る。その後にまた子規との関係も話が出まして、へー子規の親戚ですかといってまた松山人の悪口が出る。猜疑心が強いとか、排他的だとか、いろいろ欠点をあげるんですね。
しかし悪口はいいながら、松山と松山人は好きなようでした。松山人である安倍能成、高浜虚子、真鍋嘉一郎、松根東洋城などが親しくしていましたことはご承知の通りでありますが、私は直()き門下ではありませんが、明治四十年、四十一年、二年、早稲田大学卒業の前後よく訪ねまして、「三四郎」、「それから」、「門」の三部作は、署名したのをもらって来ましたし、修善寺で二度目の大喀血のあと長い療養期間をおいて東京に帰り、今の放送協会の真向えの長与胃腸病院に入院中を訪ねますと、喜んでくれましたのですが、頼みもしませんのに座辺の短冊に五、六枚俳句を書いてくれたりしました。(服部嘉香「子規と古白と拓川」『加藤拓川』所収)


ここに松山人として挙がっている真鍋嘉一郎、松根東洋城は松山の生まれではないが、松山中学の卒業生。名前は出ていないが村上霽月、森円月、久保より江などの松山人とも漱石は親交があった。

盛んに松山の悪口を言った漱石ではあったが、松山の文化には終生親しみを感じており、松山をまた訪れたいという思いも持っていた。この点については、過去のブログ記事で言及しているので参照していただきたい。

2011年3月23日記事→http://yomodado.blog46.fc2.com/blog-entry-511.html
2010年10月23日記事→http://yomodado.blog46.fc2.com/blog-entry-387.html
2012年9月3日記事→http://yomodado.blog46.fc2.com/blog-entry-1174.html

【参考文献】
畠中淳(編著)『加藤拓川』松山子規会 1982年2月

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テーマ : 歴史上の人物
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