藤堂高虎と加藤嘉明

▼ 藤堂高虎銅像(今治城)
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▼ 加藤嘉明銅像(松山城ロープウェイ東雲口駅舎横)
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「関ヶ原の合戦」(1600年)の後、藤堂高虎と加藤嘉明は伊予40万石を折半して領有することとなった。藤堂高虎は家康側近の大名、加藤嘉明は秀吉恩顧の大名。立場を異にする両氏は緊張をはらみながらこの伊予の国で対峙した。

高虎、嘉明はともに築城の名手であった。高虎は最新鋭の海城「今治城」、嘉明は要害堅固の平山城「松山城」を築き、新たな本拠地とした。

最新鋭の海城「今治城」は嘉明にとっては相当の脅威であった。嘉明は今治城の南約3キロの地点に支城「拝志城」を築いてこれにそなえた。慶長9年(1604)には両氏の衝突事件「拝志騒動」が勃発、合戦寸前の事態にまで至った。戦国の世の緊張は「関ヶ原」の後もなお残っていたのである。

【参考文献】
藤田達生『秀吉と海賊大名 海から見た戦国終焉』中公新書 2012年1月
藤田達生「初期松山城縄張考」(伊予史談366号・2012年7月)

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テーマ : 歴史上の人物
ジャンル : 学問・文化・芸術

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