黒船来航による珍騒動

嘉永6年(1853)6月、ペリー提督の率いる軍艦4隻が浦賀沖に出現。人々を驚かせたこの「黒船」の来航は、滑稽ともいえるような騒動をも引き起こした。以下、斎藤月岑の『武江年表』の記述。

異国船渡来に付て、回向院境内国府あみだ如来、六月十日より開帳、七月三日より又開帳あり。(中略)回向院国府のあみだ如来開帳、九月十八日より十月十二日迄三たび始る。剣難除(けんなんよけ)の守をいだす。そのかたわらに鉄砲玉にあたらずとしるせり。異国船渡来せるより思ひよりて此守を出せしなり。浮屠家の貨殖をはかる事、商家にまさりてかしこし。


江戸の回向院では国府の阿弥陀如来の出開帳がおこなわれ、鉄砲の弾にあたらないという「剣難除」の守り札が売り出された。異国船の来航によってにわかに売り出されたものだが、「浮屠家」(僧侶)のすることは商売人以上で金儲けがうまい、云々。

大小名、或は陪臣、其外匹夫にいたる迄、洋船渡来よりこのかた、攘夷又は一旦の御和親等、激切・寛体の策を演、建白せる輩勝計すべからず、其内憶断管見をもてつゞり、抱腹にたえざるものも鮮(すくな)からずとぞ。或は深川冬木町に於て、車輪船といへる物を工夫して造らしめけるが、出来あへずして画餅となり。浅草の馬具師は水中を潜りて敵に向はんがため、革の嚢を造りしが息の通ふ手段を考へず、その外狼狽して井蛙杜撰の説をつらね、世の笑柄となりしも多かりし。


異国船来航より、大名以下、庶民に至るまでが意見を提出。深川冬木町では「車輪船」というものを工夫して造ったがあえなく失敗。浅草の馬具師は異国船を水中から攻撃するための人が入る革の袋を作ったが呼吸する方法を考えず失敗。他にも杜撰の説をなして笑い話となるようなものが多かった、云々。

ペリー来航後のこうした珍騒動の類はそれこそ無数にあるだろう。『鳴雪自叙伝』にも見せかけだけの大砲を設置したというおもしろい話があるのだが、これについてはブログ2012年5月27日記事を参照していただきたい。

【参考文献】
斎藤月岑編『武江年表』国書刊行会 1912年11月

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〔記事と画像は無関係〕

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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