加藤恒忠(拓川)、松山市長としての功績

大正12年(1923)7月、旧藩主家の当主・久松定謨(さだこと 1867-1943)は政府から松山城山・城濠の縁故払い下げを受け、維持金4万円を添えて松山市に寄付した。松山城はこれでようやく松山市民のものとなったのだが、ここに至るまでには当時の松山市長・加藤恒忠(号・拓川 正岡子規の叔父 1859-1923)の病躯をおしての斡旋尽力があった。『松山市史』は加藤市長のその尽力について次のように記述している。

(大正11年)加藤は、十二月一~四日城山払下げ問題で上京した。城山の払下げは、十年十一月の市会で、長井市長が「松山城山(旧城閣及立木共)相当代価を以て本市に特売申請をなすものとす」と提案し、満場一致可決して陸軍・大蔵両省に申請したのが発端であった。(中略)この問題を引き継いだ加藤市長は病躯をおして払下げ実現に上京奔走した。陸軍省は白川義則陸軍次官の尽力でこれを承知したが、大蔵省は払下げ価格五万九千円を要求した。加藤は、元大蔵大臣勝田主計を動かしてこれを値切り、十二年二月の市会に、三万円で「松山城山及外濠払下げ」を受けることを提案した。市会に異議はなかったが、伊予鉄電など財界から寄付を受けるよう努力すべきであるとの意向が強かった。
すでに余命いくばくもないことを痛感していた加藤市長は、旧藩主久松家に働きかけた。その結果、久松定謨伯の決断で、久松家が縁故払下げを受けて松山市に寄付することになった。三月の市会で、「松山城山及城濠払下げ取消の件」の議事説明に立った重松助役は、「久松家の家令内藤克家さんが見えて、市より払下げの申請をして居る城山問題は、久松家に縁故払下へを受けて改めて市には維持費として四万円を副え、都合七万円となるが之を市に寄付したいと申込があった」と述べている。この五日後に加藤恒忠は死去するので、文字通り加藤の置き土産となった。(『松山市史』第3巻「第二章 近代都市化の進展」)


加藤恒忠と親交のあった井上要(伊予鉄道社長 1865-1943)も著書の中でこの加藤の尽力にふれている。

松山城は曾て陸軍の所管であって、松山市民のものではなかった。唯この名城とこの絶景を日々観望することは、何人も自由に富士山を見て楽しみ且つ誇るように、それが仮令(たと)ひ陸軍のものであっても、毫も妨ぐるものではない。けれども之を松山市の所有として確実に市民の手の中に把握し、愛撫し、経理し、保管して、いはゆる我がものとしたのは誰の力であるか。これは久松家が陸軍から譲受け維持の資金までを添へて寄附せられたお蔭であることは云ふまでもないが、その裏面に於て是もまた加藤恒忠君の斡旋尽力に因りたるものなることを看過することは出来ぬ。
大正十二年であったと思ふ。晩年の君が松山市長であったとき、先づ此城山を陸軍から買受くることに成功した。これは市民積年の願望であるが、今までは解決し得なんだものを君に因りて始めて達成したのである。併し市には之に充つべき財源がない。そうして君が先づ財源として狙ひを定め白羽の矢を立てたるものは、私共伊予鉄電役員の懐であった。丁度其ころ伊予鉄電は今治の愛媛水電を合併した後で、増資の際、私ども役員は慰労報酬の云いで、新株の権利を貰った。この権利のプレミアム大凡七八万円は株主の好意により頂戴したものであるが、之で私腹を肥すのは勿体ない。依って何か公共の為に使ひたいと考へて居たときである。この事実を知れる君はこの金を当てにして実は城山を払受けたのであるから、早速私に之を提供せよとの相談である。折角の相談でこれ程善いことを断るも本意でないが、私の会社は広く県下を得意として営業して居るのであるから、仮令ひ私共に貰った金とは云へ県下の為に汎く利用したい。故に松山市だけに献金することは出来ぬと刎ね付けた。
こゝに於て目算カラリ外れて君は大に困った末遂に久松伯にお願して御寄附を仰ぐことゝなった次第である。伯と君とは殆ど師弟に近き関係あり。懇親の間柄であるから、自然情意も疎通したであらう。殊に伯爵家に取っては誠に恰好の美挙であるので、伯は君の進言懇請を採択せらるゝことゝなったものと思ふ。其後私どもはこの金を以て道後グラウンドを開設したので愛媛体育協会も成立することゝなったが、加藤君の城山払受けの努力苦心は実に容易なものではなかった。即ち松山城を取戻して市民手中のものとしたのは久松伯と加藤君の賜である。然るに未だ一つの記念碑さへも建って居ない。此恩人に対して碌々感謝することもなく、この最近の由来を忘れて何知らぬ顔で居るものゝ多きは私の感服せぬ処である。(井上要『北予中学・松山高商楽屋ばなし』三「忘れてはならぬ学校の恩人」)


食道がんが進行していた加藤恒忠は大正12年3月26日に死去。松山城山・城濠払い下げ問題に解決の道筋をたてての死であった。

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【参考文献】
井上要『北予中学・松山高商楽屋ばなし』岡田栄資(編輯兼発行人)1933年11月
松山市史編集委員会編『松山市史』第3巻 松山市役所 1995年5月

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テーマ : 歴史
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