「伯爵久松定謨頌徳碑」

松山城・本丸広場にある「伯爵久松定謨頌徳碑」。

久松定謨(さだこと 1867-1943)は旧松山藩主家の当主。大正12年(1923)7月、政府から松山城山・城濠の縁故払い下げを受け、維持金4万円を添えて松山市に寄付した。「伯爵久松定謨頌徳碑」はその功績をたたえた碑である。昭和30年(1955)建立。

▼ 碑表
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伯爵久松定謨頌徳碑
  徳川家正謹書


碑表の字は徳川家正(1884-1963)の書。家正は徳川宗家第17代当主。

▼ 碑陰
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松山城は道後平野の中央に屹立せる勝山の頂にあり慶長七年
加藤嘉明の築く所にして現に国指定重要文化財に推され我が
松山市の象徴たり加藤氏転封の後寛永十二年久松定行封を
此処に受く爾来版籍奉還に至るまで二百有余年治績大に挙
り藩民堵に安じ市運亦振ひ俊秀の士を輩出せり明治維新の
後城廓廃毀の令に接せしが幸にその厄を免れ終に大蔵省所管とな
る伯爵久松定謨家を承け陸軍中将に任ぜらる松山市に帰住するに及
び巨資を捐てゝ城山全部の下附を請ひ更に維持金若干を添へて
松山市に寄せらる実に大正十二年なり依て市はこれを松山公園とし
四時行楽の所となす伯の志真に篤しと謂ふべし嗚呼勝山の松鬱
として晩翠を含み拓川の水淙々として長へに流るその令徳を頌
するにあらざらむや石を建て勒して不朽に伝ふ
昭和丗年十月 久松定謨伯顕彰会建之



▼ 副碑
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久松定謨伯顕彰会
会長 武智鼎
提唱者 富田喜年
撰文 景浦直孝
筆者 淺海忠
石工 加藤菊一



松山城山・城濠の払い下げに至るまでには当時の松山市長、加藤恒忠(号・拓川 正岡子規の叔父 1859-1923)の並々ならぬ努力があったのだが、そのことはあまり知られていない(次回ブログ記事)。

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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