加藤嘉明の時代、松山城の天守はなかった(?)

▼ 加藤嘉明騎馬像(城山ロープウェイ東雲口駅舎横)
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松山城を築いた加藤嘉明(1563-1631)。嘉明の時代、松山城の天守は五層であったといわれてきたが、近時の説では五層の天守どころか天守自体がなかったという。嘉明時代の本丸は中央に大井戸があり、それを囲むような形でいくつかの建造物が配置されていただけだった。五層の天守を含む連立式天守が建てられたのは嘉明の次の蒲生忠知の時代であったという(以上、藤田達生「初期松山城縄張考」)。大手口の位置も城の東側、今の西一万二番の一帯付近であったという説(柚山俊夫)が出されており、諸多の点で通説というものを見直す必要があるというのが松山城研究の現況のようである。

【参考文献】
藤田達生「初期松山城縄張考」(伊予史談366号・2012年7月)

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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