加藤嘉明の勝山築城伝説

加藤嘉明(1563-1631)、勝山築城時の伝説。

この城は賤ケ岳七本槍で名高い加藤左馬之助嘉明(孫六)の築く処である。嘉明は関ケ原の大戦に東軍に従ひ抜群の功を樹て、正木六万石より一躍二十万石の大封を受くることゝなったが。松山城の前身松前城は規模大ならざれ共東南北は遠く平野開け、西は渺茫たる周防洋に続き、而も城の前面は泥深き水田を控へ、要害堅固を誇るも、風強き時は砂塵揚って波浪築地を越え、高浪の時は城の櫓も崩れんばかりに騒がしく、平素の居住にまことに不便を感じ、遂に新城構築の意を決して先づ候補地として
 勝山(味酒山)、天山、御幸寺山
の三ケ所を挙げ、慶長六年幕府に築城の許可を乞ふに至った。然乍当時幕府の允可方針は一に下らず、多く第二候補地の許さるゝに鑑み、第一候補地としては天山を挙げ、勝山を故意に第二とし、御幸寺山を第三として出願したが、果して予期の通り勝山に許可が下されたのであるといふことである。(『国宝松山城』)



▼ 勝山(標高132m)
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▼ 山頂の本丸広場
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▼ 加藤嘉明騎馬像(城山ロープウェイ東雲口駅舎横)
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【参考文献】
『国宝松山城』松山市役所 1937年4月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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