松山城・お堀

松山城のお堀(城濠)は、全長1345m、幅約28m、平均水深1.9m、面積37000㎡、貯水量70000㎥。お堀の水は、堀之内東入り口下など五つの流入口から流れ込み(水源は石手川岩堰付近)、約2週間かけて堀の中をゆっくり流れ、西堀にある二つの放水口から宮前川に流れ出る。

▼ お堀
DSCF3615_convert_20130328073131.jpg

DSCF3700_convert_20130328132804.jpg

DSCF3671_convert_20130328205826.jpg

DSCF3626_convert_20130328073221.jpg

DSCF3628_convert_20130328073316.jpg

DSCF4363_convert_20130419164226.jpg

DSCF4525_convert_20130427125318.jpg

正岡子規が子供のころ、お堀は蓮でいっぱいだったらしい。河東碧梧桐は子規がお堀について次のように語ったことを記憶している。

虚子「何か題を出してもらわんと……。」(中略)
碧梧「出してもエエかな。じゃ蓮の花。」
子規「蓮の花、そうそう来る道に咲いとったな。アシが少(ちい)さい自分、お濠の蓮が一杯じゃったがな、南堀端の何とか庄兵衛と言ったお爺さんが、蓮のさかり時分はポンポン花のさく音がして、床の中でひとりでに目がぱちりと明き、ポンと来るとまた頭があがり、またポンと来ると半身が起きて、ひとりでに床の中から起きられる、と言いよいでたそうな。」(河東碧梧桐『子規を語る』十四「三津のイケス」)


▼ 堀之内東入り口下の流入口
DSCF3678_convert_20130328132658.jpg

終戦後の占領下の時代、進駐軍の勧告によってお堀の全面埋め立てが計画されたが、田井能重雄、景浦勉、岡井藤志郎、長坂親和らを中心とする人々が反対運動をおこして、各種団体、市民各層にひろがる大衆運動となり、全面埋め立てとなることは阻止された。

【参考文献】
河東碧梧桐『子規を語る』岩波文庫 2002年6月
『みんなのお城 松山城』愛媛新聞社 2002年11月
長坂整史「松山城濠埋立て反対運動について」(伊豫史談354号・2009年7月号)

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ
にほんブログ村
にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 松山情報へ
にほんブログ村

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
QRコード
QRコード