「井上要翁頌徳碑」

「井上要翁頌徳碑」(松山市・梅津寺公園前)

▼ 碑表
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井上要翁頌徳碑
  友人蘇峯徳富丕敬書


碑表の字は井上要の友人・徳富蘇峰によるもの。

▼ 碑陰
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井上要翁ハ慶應元年愛媛縣喜多郡
菅田里正有友氏ノ家ニ生ル資性俊
敏識見高邁頗ル經世ノ才アリ先ニ
推サレテ縣會ノ主班トナリ後ニ選
ハレテ代議士タルコト三度更ニ伊
豫電氣鐵道株式會社社長トナリテ
ハ企画宜シキヲ得以テ同社今日ノ
隆昌ヲ致セリ又深ク心ヲ育英ニ注
キ北豫中學松山髙商等ノ創立經営
皆其手ヲ煩ハササルハ無シ而シテ
翁ハ我ガ縣未タ縣立圖書館ノ設備
ナキヲ慨シ其退職ニ際シ享ケシ所
ノ巨資ヲ捐テ同館舎ヲ建テ之ヲ縣
ニ寄ス實ニ昭和十年五月ナリ嗚呼
翁ヤ徒ラニ軒冕ノ榮ヲ索メス専ラ
郷黨ノ誘掖ニ終始ス真ニ偉ナリト
謂フヘシ因テ此処ニ比碑ヲ起シテ
丕績ヲ不朽ニ傳フ
昭和十七年
  伊豫史談會同人 撰
  七十七齢前田政吉書



井上要は慶応元年(1865)、喜田郡菅田村(大洲市)の庄屋、有友平衛の長男に生まれ、同村士族井上家の養嗣子となる。法律学を独習して弁護士資格を得、開業。明治30年(1897)、県会議員当選、議長に選ばれる。35年より衆議院議員(3期歴任)。これより先の20年(1887)、伊予鉄道委員(取締役)。のち第3代、第5代同社社長。松山高等商業学校(現・松山大学)の創立にも尽力した。昭和18年(1943)3月18日、高浜の別邸「不去庵」で死去。

伊予鉄道を創立したのは小林信近であったが、小林は同社の生みの母、井上は育ての父であるといわれる。また、その卓越した事業家としての手腕から四国の渋沢栄一ともいわれた。

「井上要翁頌徳碑」は二番町の初代県立図書館(井上の寄付で建設)前に建てられ(昭和17年12月19日除幕)、のち梅津寺公園前の現在地に移された。

【参考文献】
曽我鍛『井上要翁伝』伊予鉄電社友会館維持会 1953年9月

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テーマ : 歴史上の人物
ジャンル : 学問・文化・芸術

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