明治の一番町停留所

明治末期の松山一番町、当時のこの町を知る人の「明治の“一番町テーリュージョ”」という文章に次のようなことが記されている。

やがてロマンティックな坊っちゃん列車もずんぐりした電車にとって代られ、そのうち競争相手の“デンテツ”が出現、道後行き乗客の“取りやいこ(取りっこ)”が始まった。両社とも駅員が手で振る鐘をガラーンガラーンと打ち鳴らし、“道後いきー、道後いきがもうすぐ発車しま~す。お乗りのお方はお急ぎ願いま~す”と声をからしていた。(山内一郎「明治の“一番町テーリュージョ”」『坊っちゃん列車と伊予鉄道の歩み』)


「坊っちゃん列車」は伊予鉄道の蒸気機関車。それが電車にかわったというのは、同社の道後線が電化されたことをいうものである。道後線のその電車運行の開始は明治44年(1911)8月8日であった。競争相手の「デンテツ」というのは、同年9月1日開業の松山電気軌道(松電)で、伊予鉄、松電は併行線で競合していた。一番町にはこの両社の停留所が隣接しており、上にいうところの乗客の「取りやいこ」が連日、繰りひろげられていた。いまの伊予鉄市内電車・大街道停留所のある辺りが、その「取りやいこ」の舞台となったところである。

【参考文献】
伊予鉄道『五十年史』1936年9月
毎日写真ニュースサービス(編集・制作)『坊っちゃん列車と伊予鉄道の歩み』伊予鉄道 1977年11月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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