乗合馬車で伊予鉄に対抗

明治末-反・伊予鉄の気運がたかまる三津浜町では、有志らが三津-松山間の乗合馬車を運行して同社に対抗した(昨日の記事参照)。『三津浜誌稿』はこれについて次のように記述している。

明治晩年頃、宮前町厳島神社前から、松山間を馬車が走っていた。これは高浜港の開港(明治三十九年)を怒って、井上要氏と関係ある伊予鉄道には乗るなと云う事から、三津浜町民の要望に応え、宮前町に住む町会議員であった、白石作太郎氏等が経営したものではないかと思われる。
したがって三津浜の人々は此の乗合馬車にゆられ、馬車はラッパを吹きながら田舎道をつっ走り、坊ちゃん列車と競争していたという。その斗志はうかゞわれるがなぜか、ユーモアを感ぜさせられるひとこまは、漱石の坊ちゃんのせいばかりではなかろう。世代の変遷にすねた三津浜人の気性と、何事にもよく一致団結した昔日の町民の面影であった。抗すべき筈がなかろうとも、その意気は天を衝く勢があり、後明治四十三年松山電気軌道会社が出来るまで競争していたという。
乗合馬車と共に人力車も宮前にたむろし、馬車は松山まで五銭、人力車三銭五厘であった。(『三津浜誌稿』「宮前町 乗合馬車」)


鉄道に対抗するに馬車ではもとより勝負にならない。この乗合馬車の運行はながくはつづかず、ついには鉄道で対抗するということになった。伊予鉄を屈伏させるための鉄道。松山電気軌道(松電)はそのために設立された鉄道会社であった。

▼ 三津厳島神社(松山市神田町)
この神社の前が乗合馬車の発着場であった。
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【参考文献】
三津浜郷土史研究会編『三津浜誌稿』1960年12月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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