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秋山好古、北予中学の校長に就任する

陸軍大将・秋山好古(1859―1930)は晩年、郷里松山の北予中学の校長となった。中央の高官であった者が郷里とはいえ地方の一中学の校長になるというのは極めて異例で、社会的にはいわば格下げとなるわけだが、校長就任の要請を聞いた秋山は快くそれに応じた。北予中学の理事であった井上要(伊予鉄道社長)はこの校長就任要請のときの模様を次のように伝えている。

然らばその後任(注-加藤彰廉北予中学校長の後任)を何人に求むべきか、理事会の議は時恰も秋山大将が停年退職の折柄なるを以て之に懇請することに一致したが、有力者の中には陛下の大将、国家の重臣なる閣下に対し、地方官監督下に立つ田舎の一中学の校長たらんことを懇請するのは甚しい非礼である。閣下は断じて之を許さぬであらうと遠慮するものも少くなかった。
けれども私は信ずる処あり、理事会の使命を帯て、東京四谷の大将邸に至り、赤裸々に事情を告白して校長の就任を求めたところ大将の答へは極めて簡単である。
「俺は中学の事は何も知らんが外に人がなければ校長の名前は出してもよい。日本人は少しく地位を得て退職すれば遊んで恩給で食ふことを考へる。それはいかん、俺でも役に立てば何でも奉公するよ」
といはれた。沈黙を破る寡言の雄将の言葉は極めて要領を得たる教訓ではないか。私は非常に喜んで
「どうか当分でも校長の名をお貸し下さい。そうして時々学校へ来て生徒と遊んで下さい」
と応答僅に十分、私は見事に金的を射落し、使命を果たして鼻高々と帰松、之を報告したのである。(井上要『北予中学・松山高商楽屋ばなし』一七「俄に光る北予中学」)


名目的な校長就任で学校へはときおり顔を出すだけでよいというのが当初の要請であったが、秋山は東京から単身、松山に居を移し、毎日欠かすことなく出勤した。

「当分の間時々学校へ来て生徒と遊んで下さい」
「中学のことは何も知らんが校長の名前は出すよ」
唯これだけの簡単なる条件で就任せる秋山大将の校長先生時代は大正十三年より昭和五年まで実に六年の長きに及んだ。然るにこの校長先生は未だ曾て一日も休んだことはない。そうして毎日の勤務時間は十分と遅れたことなく出勤するので、後には校長の通ふ沿道には、その登校せる姿を見て時間を知り、我家の狂ひ易き時計の針を正すと云はれるほど精確なものであった。(同・一八「無言の教・無為の化」)


秋山のこの精励は終生社会貢献をすべきだという自身の信念に基づくものであった。欧米人に見習った信念だが、秋山はそれを次のように語ったという。

現時我国に於ける官吏軍人等は其の退職するや僅少の恩給に依りて生活し無為徒食に陥るもの多し。欧米国民は概してかゝる生活を忌み仮令(たとい)大臣其他重職にあり資産に余裕あるものと雖も一朝職を退けば弁護士となり新聞記者となり会社員となり(中略)職業に貴賤なしとの観念を以て其豊富なる智嚢を各方面に進展せしむ。(中略)特に私立の中学校等にありては嘗て大臣たりしもの大学総長若(もし)くは教授たりしもの其他知名の人士にして閑職にあるものは皆喜んで貴重なる教職に従事す。是れ私立学校に優良なる教師の極めて多き所以なり。(同・二〇「徹底せる私学観」)

井上要はこれを「何と痛快なる至言ではないか」と述べている。

校長秋山好古について井上要が記すところをもう少し引いておこう。

校長先生の眼底には眈々として人を射る光が潜んで居る。けれども先生が怒った顔は誰も見たものはあるまい。そうして叱られた生徒は一人もない。毎日毎年変りなき慈眼温容、始終ニコニコと笑みを浮べ、校内や教室を見廻って居る。時々は実験実話を交へた暖い訓話がある。それは勿論訥弁であるが生徒はこの上もなき楽みとして之を謹聴した。学校に於けるこの校長先生は誠に親むべき好々爺であった。
北中の校長室は誠に狭隘にして東南に日光の直射を受け、殊に夏になっては暑いこと夥しい。しかも冬も亦頗る寒い部屋である。然るに秋山先生は未だ曾て一言も「暑い」と言ひ「寒い」とこぼしたことはない。何時でも儀容端然として洋服のボタン一つさへ外れたのを見たものはないほどであった。
先生も校長となってより間もなく、すべての先生職員も急に勉強家となって欠勤するものなく、生徒もまた欠課休学を為すものが著しく減じたことは争ふべからざる事実であった。従って授業料の如きも遅納滞納なく大いに事務員を喜ばせることゝなった。(中略)
校長先生の感化は独り校内のみに止まらず、一般の社交界にもかなり刺戟を与へたものである。時間励行は世人の常に唱ふる処であるが、何処でも中々に実行せられて居ない。松山でも松山時間と云へば言行不一致の標語となって居るほどである。それに校長先生の関する会合は、殆ど分秒を違へず自ら出席せられたので、後には人々相伝へ相警めて之に倣ひ、風習一新、積弊打開の一助となったなどはその一例である。無言の教訓、無為の感化は誠に大きいと言はねばならぬ。(同・一八「無言の教・無為の化」)



▼ 秋山好古銅像(松山市歩行町「秋山兄弟生誕地」)
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【参考文献】
井上要『北豫中学・松山高商楽屋ばなし』(編集兼発行人・岡田栄資)1933年11月

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テーマ : 歴史上の人物
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