正岡子規邸に泥棒侵入

明治18年(1885)8月8日、松山湊町の子規邸に泥棒が侵入、家にいた子規が気づいたときには泥棒はすでに逃げたあとだった。

今十八年八月八日午前、窃盗、余の家(松山)に来りしが、余も帰省中にて折柄眼覚し居りしに、戸の開閉を以て鼠と思ひ、そのまゝすておき候ひしが、丁度賊のいでんとする時、火の用心の爺七十許りなる者、表門より通り掛り、門のあき居る故内を差のぞきて「門が明て居ます」と中声にて叫びしかバ、賊は将に出でんとするの図なりしと見え、頭に帽を被り(此帽も隣家のぬすみ物也)荷物を持居しが、爺の声に応じて唯々といひてくゞり戸を其儘押しあくるまねをして躊躇せし様子なりし。さるを爺ハ気味悪く思ひ中の川へ廻り、余が家を起さんと立去りし間に賊ハ直ニ抜け出したり。余も其声を聞付け火を点して出るときハ已に其逃げ出し後なりけり。若し一歩早からバ、またせんすべもあらん。左なくとも爺が其時表戸を外よりたてこめ、一声賊と叫びたらんにハ賊ハ其間に狼狽するを見付て捕へやらんものをと詮なき事を悔むもおかしけれ。(正岡子規『膾残録附随録』)


翌日、近所の人たちが見舞いに訪れたが、その見舞いの言葉で誰もがみな「まあお茶でもおあがりなさい」と言うので子規は驚く。あとで人に尋ねるとそれが町方・村方で慣用される見舞いの言葉であった。

閑話休題、其翌日隣人共の見舞に来る者の口上に曰く、「昨日は御災難で御座いましたそふな。マアお茶でもお上りなさい。そら大変で御座いました」と色々挨拶の末、復帰り際に「マアお茶でも沢山めし上りませ」トいひて立帰りぬ。其口上皆同じければ奇しき事に思ひ、人に尋ぬるに「是ハ町人在郷等の慣用する言にて吊のときにも通用するなり」と。益妙なことと思ひ考ゆれども根ッから不分。聊カ記して後日之為に備ふといふ。(同上)


「まあお茶でも~」はこうした災難見舞いだけでなく、「吊のときにも通用するなり」、弔いのときにも使われる言葉であった。「根ッから不分」、まったくわからない。子規にとっては泥棒よりもこの「まあお茶でも~」のほうが不審だったようである。

【典拠文献・参考文献】
『子規全集』第9巻(初期文集)講談社 1977年9月

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テーマ : 歴史上の人物
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