松山中学生・子規、三津厳島神社前で人力車を転倒させる

正岡子規は松山中学生のとき、三津厳島神社前で人力車を転倒させたことがある。松山中学の運動会が三津でおこなわれた日のことで、その詳細を子規は随筆『筆まかせ』に記している。

余郷里の松山中学に在る時(明治十五年の頃ならん)同校生の運動会を三津に開く。帰途、人力車、数台をやとひたり。其折余ハ安長、宇高二氏と共に、宮[注-厳島神社]の前をあるきて人を待ち合せしが、車はそこにありて車夫ハ少しさきにあり。余戯れに、つれの二人に向ひ「此車に乗れ」といへば二人ハ之に乗りたり。余梶棒をあげて、そろそろ引き出しける時、少しかぢ棒を高くあげたるに車は後に傾き将に転覆せんとす。余力を入れて梶棒をさげんとするに力及ばず、二人の重みにて後にひっくりかへらん有様なれば、余も一生懸命梶棒につかまりけるまゝ、余の足は漸漸に地を離れあがりければ、車は徐ろに転覆したり。こゝに於て友人は倒(さかさ)まになりたるまでにて怪我もなく、車も少しも破れず、余は無論無事なり。いとおかしき話なり。(『筆まかせ』第一編)


三津での運動会からの帰途、子規は厳島神社の前で車夫が不在の人力車を発見。ふざけて友人二人に「この車に乗れ」と言い、自分は梶棒を引こうとしたが、乗せた二人の重みで車は後ろに傾く。子規は懸命にふんばるが力及ぼず、人力車はついに転倒した。幸い子規らに怪我はなく、人力車も破損しなかった。この一件を記した上の文章、子規はこれを「車を無難に転覆せしむる法」と題している。

▼ 三津厳島神社(松山市神田町)
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明治時代、この厳島神社の前は人力車乗り場だった。明治末の一時期は三津~松山間を往復する乗合馬車の発着場でもあった(→ブログ2010年3月9日記事)。

【典拠文献】
『子規全集』第10巻(初期随筆)講談社 1975年5月

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テーマ : 歴史上の人物
ジャンル : 学問・文化・芸術

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