正岡子規の妹律の名-「律子」「リツ」

正岡子規の妹律(1870-1941)は周囲からは「お律さん」と呼ばれていた(以下、下線は引用者の付加)。

お律さんはまだ四十代だったと思いますが、昔のことですから随分年よりに見えました。(土居健子(談)「叔父秋山真之と子規のご家族」)

そのころ子規のお母さんはお律さんと二人住まってゐてお針を教へてゐられたらしい。(座談会「子規を語る」発言者・景浦直孝)

をばさんとお律さんと私と三人顔見合せて、しばらく言葉のあとがつゞかなかった。(河東碧梧桐『子規の回想』続編二十九「死後」)


昨日のブログ記事でふれたように、女性名に「お」を付すのは親愛の気持ちを込めた呼び名である。

律の名は「律子」と記されることもあった。

七月初旬より下旬へかけ三四回、根岸に律子刀自(注-刀自は女性に対する敬称)をお尋ねして、いろいろ懐旧談に耽った。(河東碧梧桐・記「家庭より観たる子規」)

後に正岡の妹さんで、昨年亡くなりました律子といふ人が居られましたが、それは七十二で亡くなられました。(高浜虚子「自伝」)


本名に「子」の字がなくても「~子」と記すのは敬称という意識からのものだと国語学者の柴田武(1918-2007)はいう。

たとえ戸籍名は〈はる〉であっても、手紙の宛先として書く時には〈はる子〉と〈子〉を付さなければならないと教わった。〈子〉は、わたしの年代の者にも、敬称という意識がかすかに残っている。(『「子」のつく名前の誕生』所引の柴田武の文章)


講談社版『子規全集』別巻3の目次には、「正岡律子」の名称記載があるから、律子というのが通称となっていたのかもしれない。

律の戸籍名は旧戸籍「律」であるが、新戸籍では片仮名で「リツ」。子規歿後、正岡家の家督を律が相続したときの新戸籍は「明治三十五年拾弍月九日家督相続届出 仝日受付 妹 亡父常尚長女 リツ 明治三年十月朔日生」となっている。これによると、律の姓名の正しい表記は「正岡リツ」ということになる。

[正岡家の戸籍(旧戸籍・新戸籍)は講談社版『子規全集』第22巻に資料として収載されている。]

【典拠文献・参考文献】
河東碧梧桐『子規の回想』昭南書房1944年6月
『高浜虚子全集13 自伝・回想集』毎日新聞社 1973年12月
土居健子(談)「叔父秋山真之と子規のご家族」(『子規全集』第17巻「月報11」講談社 1976年2月)
『子規全集』第22巻(年譜 資料)講談社 1978年10月
『子規全集』別巻3(回想の子規2 附補遺)講談社 1978年3月
板倉聖宣(監修)橋本淳治・井藤仲比古(著)『「子」のつく名前の誕生』仮説社 2011年8月

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