江戸時代の武士

江戸時代の武士の世界は煩瑣な階層から成っており、階層による上下の別が厳しく定められていた。この時代を知る内藤鳴雪(旧松山藩士)や福沢諭吉(旧中津藩士)はその厳格な上下関係について次のように述べている。

他の藩でもそうであろうが、私の藩で家老と他の藩士とは、非常の等差のあったもので、家老はその他の藩士を何役であろうが呼び捨てにする。藩士は某様といって殆ど君公に次いだ敬礼をする。途中で出逢っても、下駄を穿いている時はそれを脱いで地上に跣足(はだし)で立たねばならぬのだが、それを略して、下駄のまま鼻緒の上へ足を乗せて、型ばかり脱いだ式をした。(内藤鳴雪『鳴雪自叙伝』九)


又足軽は一般に上等士族に対して、下座とて、雨中往来に行逢うとも下駄を脱いで路傍に平伏するの法あり。足軽以上小役人格の者にても大臣に逢えば下座平伏を法とす。啻(ただ)に大臣のみならず上士の用人役たる者に対しても同様の例をなさゞるを得ず。又下士が上士の家に行けば次の間より挨拶して後に同間に入り、上士が下士の家に行けば座敷まで刀を持込むを法とす。(中略)
又言葉の称呼に、長少の別なく子供までも、上士の者が下士に対して貴様と云えば、下士は上士に向てあなたと云い、来やれと云えば御いでなさいと云い、足軽が平士に対し徒士(かち)が大臣に対しては、直にその名を云うを許さず一様に旦那様と呼で、その交際は正しく主僕の間のごとし。又上士の家には玄関敷台を構えて下士には之を許さず、上士は騎馬し下士は徒歩し、上士は猪狩(ししがり)、川狩の権を与えて下士には之を許さず、加之(しかのみならず)文学は下士の分にあらずとて表向の願を以て他国に遊学するを許さゞりしこともあり。是等の件々は逐一計(かぞ)うるに暇(いとま)あらず。(福沢諭吉『旧藩情』)


同じ武士でも階層が一つ違えば、その間柄は主僕のごときもの。武士の身分内格差はまことに歴然としたものであった。

江戸時代の身分秩序といえば士農工商の四民と思いがちだが、身分としての実態はむしろその身分内格差にあったという。

四民の秩序化は、現実の中でほぼ崩壊しており、貧富の差とも関係なかった。むしろ武士は貧しく、ある程度職人化、商人化しなければ生きてゆけなかった。農民は盤石だったが、生産構造が大きく転換してゆく中で、食料生産だけでなく手工業品生産も担うようになり、職人や商人の能力ももつようになった。(中略)
士農工商の実態が崩れている場合、身分制度とはいったい何であったのだろうか。最近、近世の身分制度について、別の観点から論じられるようになってきている。それは、それぞれの身分や社会グループの内部に微細な階層が作られており、人々にとってはそちらのほうがよほど実態を持った身分制度であった、という点である。(田中優子『カムイ伝講義』)


こうした身分内格差がとくに顕著だったのが武士の世界。江戸時代の武士の世界は農民や町人の世界よりもはるかに厳しい格差社会だったのである。

【典拠文献・参考文献】
内藤鳴雪『鳴雪自叙伝』岩波文庫 2002年7月
『福沢諭吉著作集』第9巻 慶應義塾大学出版会 2002年9月
田中優子『カムイ伝講義』小学館 2008年10月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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