モース、日本の正月を観察する

明治10年代に日本に滞在したアメリカの動物学者E・S・モース(1838‐1925)は日本の正月の模様を次のように描いている。

年の初めに、町々をさまよい歩き、装飾の非常に多数の変種を研究することは、愉快さの、絶えぬ源泉である。表示された趣味、松、竹その他の象徴的材料を使用することに依て伝えられる感情は興味ある研究材料をつくる。元旦、私は廻礼をしていて、店の多くが閉ざしてあるのに気がついた。町は動作と色彩との、活々した光景を現示する。―年賀に廻る、立派な着物を着た老人、鮮かな色の着物を着て追羽子をする若い人々、男の子はけばけばしい色に塗った大小いろいろの紙鳶(たこ)を高低いろいろな空中に飛ばせる。上流階級の庭園では、華美なよそおいをした女の子達が、羽子を打って長袖をなびかせると、何ともいえず美しい色彩がひらめくのである。非常に多数の将校や兵士が往来にいた。いたる所に国旗がヒラヒラし、殆どすべての家が、あの古風な藁細工で装飾されていた。子供が群れつどう町々を見、楽器の音を聞き、そこここに陽気な会合が、食物と酒とを真中に開かれているのをチラチラ見ることは、誠に活気をつける。私が訪問した所では、どこででも食物と酒とが、新年の習慣の一つとして出された。食物でさえも、ある感情と、それから満足とを伝達するのである。(E・S・モース『日本その日その日』「第15章「日本の一()と冬」」)


次はおせち料理の観察。

積み重ねた三つの、四角い漆塗の箱には、食物が入っている。食物というのは、魚から取り出したままの魚卵の塊、砂糖汁と日本のソースとに入った豆の漬物、棒のように固い小さな乾魚、斜の薄片に切り、そして非常に美味な蓮根、鋭い扇形に切ったウォーター・チェスナット〔訳注‐辞書には菱とあるが慈姑(くわい)であろう〕、緑色の海藻でくるくる捲いて縛った魚、切った冷たい玉子焼、菓子、茶、酒。(同上)


年始回りについては次のように述べている。

日本人は年頭の訪問を遵守するのに当って、非常に形式的である。紳士は訪問して、入口にある函なり籠なりに名刺を置くか、又は屋内に入って茶か酒をすこし飲む、その後数日して、淑女達が訪問する。元日には、日本の役人達がそれぞれ役所の頭株の所へ行く。また宮城へ行く文武百官も見受ける。外国風の服装をした者を見ると、中々おかしい。新年の祝は一週間続き、その間はどんな仕事をさせることも不可能である。この陽気さのすべてに比較すると、単に窓に花環若干を下げるだけに止るニューイングランドの新年祝賀の方法が、如何に四角四面で、真面目であることよ!(同上)


日本の正月はモースの目に明るく陽気なものと映った。「新年の祝は一週間続き、その間はどんな仕事をさせることも不可能である」―当時の正月はまことにのんびりしたものだったようである。

【参考文献】
石川欣一訳『日本その日その日2』平凡社東洋文庫 1970年10月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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