「パン売の太鼓も鳴らず日の永き」

パン売の太鼓も鳴らず日の永き


正岡子規、明治34年(1901)春の句。前書には「筋の痛を怺えて臥し居れば昼静かなる根岸の日の永き」とある。句の「パン売」はパンを売って歩く行商で、森銑三の『明治東京逸聞史』(明治33年の部)には次のようにある。

パン売り 〈新小説三三・六〉
暁夢の「辻商人」の中に、パン売りの一項がある。
楽隊の服を着け、ブリキ製の大太鼓の中にパンを入れたのを胸に吊るして反()り身になり、調子を取って叩きながら、「神戸のパン、アメリカのパン、メリケンのパン、フランスのパン、木村屋のパン、パン屋に御用はないかいな」と、節面白く売歩く。しかし今はこのパン売りも見なくなった、としてある。パンを大道で売歩く時代は、既にして過ぎようとしていた。


太鼓を叩きながらのこの「パン売り」が廃れたあと、いっとき流行ったのが「ロシヤパン売り」(下の引用書ではいずれも「ロシヤ」の表記)なるものであった。

日露戦争後何年かたって、ロシヤパン売りといふものが到る処に現れた。夏目漱石の日記(明治四十二年四月十八日)に「昨日は本郷の通りで西洋人がパンパンと云って箱をひいて歩いてゐた」と書いてあるが、勿論全部が外人だったわけではない。(柴田宵曲『明治の話題』)


ロシヤパン 〈実業之日本四二・七・一〉
「記者談話倶楽部」に、近頃車を挽いたり、箱を負うたりして、「パンやパン、ロシヤパン、出来立てのほやほや」と呼びながら、市中を行商する者が激増した。それをまた子供が、到るところでまねている、としている。(森銑三『明治東京逸聞史』明治42年の部)


森銑三『明治東京逸聞史』明治43年の部には「ロシヤパンというものは長続きせず、これを最後に、パンを街々へ売歩くという習慣が止んだ」とあるが、昭和の時代には「ロバのおじさん チンカラリン~」の歌を流し、四輪の馬車でパンの行商をする「ロバのパン」というのが各地にあった。当地松山では昭和50年頃までこれがあったように記憶している。

【典拠文献・参考文献】
森銑三『明治東京逸聞史2』平凡社東洋文庫 1969年7月
『子規全集』第3巻(俳句3)講談社 1977年11月
柴田宵曲『明治の話題』ちくま学芸文庫 2006年12月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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