街はきたなかったが……

正岡子規が初めて上京したのは、数え年で17歳の時。その上京の初日、人力車で銀座裏を通った子規は東京の街のきたなさに驚いている。

去年六月十四日余ははじめて東京新橋停車場につきぬ。人力にて日本橋区浜町久松邸まで行くに銀座の裏を通りしかば、東京はこんなにきたなき処かと思へり。(『筆まかせ』第一編明治十七年の部「東京へ初旅」)


当時の東京がきれいな街でなかったことは、森銑三『明治東京逸聞史』の記述にもある。

岡本綺堂は、少年の頃から英国公使館の一等書記長だったウィリアム・ジョウジ・アストンと識()っていた。一日綺堂がアストンと神田を散歩した時に、綺堂は街々の汚いのを恥じて、「ロンドンやパリには、こんな穢い街はないでせうね」といったら、アストンはうなずいて、「シンガポールや香港だってない」といった。しかしすぐその後から「けれども私は、日本の街を歩くことが好きだ。逢ふ人が男も女も、年寄りも子供も、みんな楽しさうな顔附きをしてゐる。だから東京の街を歩いてゐると、自分も楽しくなる」といった。
アストンはそれについでまたいった。「東京の街は、今にもっと奇麗になるでせう。東京は今に大都市となるだらう。しかしその時になっても、街を行く人達が、今のやうに楽しさうであるかどうか。その点は私にも分らない。」
こんな予言めいたことをいったそうである。以上は岡本経一著「綺堂年代記」に拠った。何年のことだったのか確実でないが、綺堂は明治二十一年に中学五年生であり、その翌二十二年に、アストンは日本を去る。しばらく二十年頃のこととして、この年の条に載せて置くこととする。これは当時の東京を考える上に、参考になる話だろう。(森銑三『明治東京逸聞史』明治二十年の部「日本人の顔」)


街はきたなかったが、人々の顔つきは楽しそうだったという。平成のこんにち、街はきれいになったが、人々の表情はどうであろうか。「逢ふ人が男も女も、年寄りも子供も、みんな楽しさうな顔附きをしてゐる。だから東京の街を歩いてゐると、自分も楽しくなる」-街を歩いてこんなふうに感じることはないのではなかろうか。

【典拠文献・参考文献】
森銑三『明治東京逸聞史1』平凡社東洋文庫 1969年3月
『子規全集』第10巻(初期随筆)講談社 1975年5月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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