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下村寅太郎『東郷平八郎-近代日本海軍の形成』

京都学派の哲学者、下村寅太郎(1902-1995)が戦時下に執筆した評伝『東郷平八郎-近代日本海軍の形成』に次のような一節がある。

日本人のこころにとっては奇襲戦法にこそ戦術の本質が存するごとくに考える傾向がある。権謀術策によって勝つということは中国兵法の性格であり、特色であるが、日本人の本来の兵法ではない。日本人にとっては、戦術そのものは奇策である。それは戦術に合理的思惟を越えた行動にもとめる。
実際に今でも我々には、「戦術」という言葉は何か公開性をもたない秘術めいた隠密性を感ぜしめるものがある。我々は戦術に対して、意識的と否とは別として、奇策・秘術というようなものを期待している。もっぱら公理的な正攻法はむしろ戦術に属せず、虚を衝く奇攻法にこそ戦術の本質があるかのごとく考える傾向がある。結局戦術に合理性を越えた端的をもとめる。少なくとも戦術の合理主義を重視しない意識がある。これは戦争を戦術を越えた端的とする日本人の「心」にほかならぬ。同時にそこには戦術の合理性の探求に対する強靭な意志が乏しい。


奇策・奇攻法でもって戦争を遂行しようとする軍部への批判ともとれる内容。下村のこの評伝は、戦時下、自由な言論が抑圧されるなかで、雑誌「知性」昭和18年(1943)6月号~翌年8月号に連載されたが、「軍部への、当時におけるぎりぎり可能な範囲での批判だった」(大橋良介)といわれる。戦術の合理性を重視せず、奇策・奇攻法で万に一つの勝ちを拾いに行こうとする軍部。そうした軍部の姿勢が先の戦争をいたずらに長びかせた原因の一つであったのかもしれない。

下村寅太郎が戦争中に書いたこの評伝は、昭和50年(1975)に『明治の日本人』(北洋社)に収録されて再び世に出た。収録の折り、下村は千数百字ほどの短い「後語」を付け加えたが、その末尾には、「戦争は世界史の現実である。戦争に眼を蔽(おお)うことは現実に眼を蔽うことである。戦争がいかにして起こるかだけでなく、戦争がいかに戦われるかは、同様に厳粛な問題である」という重い言葉が記されている。

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〔東郷平八郎〕

【典拠文献・参考文献】
下村寅太郎『精神史の中の日本近代』[京都哲学撰書 第4巻 大橋良介 解説] 燈影舎 2000年1月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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