ルイス・フロイスの『日本史』-仏教教団についての記述

ポルトガル人宣教師ルイス・フロイス(1532-1597)の滞日記録『日本史』には、仏教教団に対する悪意に満ちた記述が散見される。

日本の祭儀はすべて悪事の張本人である悪魔によって考案されたものである。これがために仏僧らは相互に絶えざる口論の中に生きており、掟に対する熱心さによるのみならず尊大さや見栄からも、同じ宗派に属する者たちですらしばしば相互に論争し合うのである。(『完訳フロイス日本史3』以下同)


来日したフロイスの目に印象的だったのは、仏教僧の間で論争が絶えなかったということ。上の記述につづいて、そうした論争は浄土宗と日蓮宗の間でとくに頻繁におこなわれたとフロイスは記している。「日本の祭儀」はすべて「悪魔によって考案された」という断定には、当時のキリスト教のすさまじいまでの排他性がみてとれる。

大坂の僧は、財産、権力、身分において、つねに他の僧侶たちに比べ最高位にあった。この僧侶は全日本で王侯とも言うべき顕位を有し、その宗派に属する全一向宗徒から、神託を告げる聖なる祭司と見なされ、阿弥陀自身が彼のうちに住み給うと信じられていたので、人々は既述のように阿弥陀に対すると同様の儀式および崇拝の念をもって彼を礼拝していた。この僧侶は、大坂の真向いにあたり、真中に一つの川を距てただけの天満と称せられる地に、御殿および大いなる村落を有している。


この「大坂の僧」というのは浄土真宗本願寺の顕如宗主。本願寺を本山とする浄土真宗は当時から日本最大の教団であった。この記述のすぐあとには「暴君の母堂は、その宗派に属していた」とあるから、豊臣秀吉の母、大政所は浄土真宗の門徒であったのだろう。

紀伊国には、二、三千名の僧侶を擁する高野山という僧院がある。そこでは七百年あまり昔、弘法大師を称する忌むべき生活を送った仏僧が自らを生き埋めにさせた。この僧侶はそこで最高の崇敬をもって礼拝されており、同所は日本中でもっとも多くの人々が参詣する巡礼地の一つである。弘法大師の像の前では、昼夜を分たず、つねに無数の真鍮の提燈が煌々とともされている。悪事の巣窟で嫌忌すべきこの僧院は十二万俵の収入を得ているが、それは莫大な額であり、これによって仏僧たちは幾多の逸楽、悪癖、悪事の中で放恣な生活を過し、日本中が戦争や叛乱で動揺している時にも、彼らはなんらそれに取り合わなかったばかりか、まるで桟敷から見下ろすかのように、かの高野の山頂にあって、人々の労苦と災難を眺め、身勝手に批評し合っていた。


弘法大師空海は高野山奥之院で「入定留身」しているという信仰があるが、フロイスはそれを弘法大師が「自らを生き埋めにさせた」と誤解している。上の記述につづいてフロイスは高野山に対する制裁(十万俵の削減)が秀吉によっておこなわれたことについてふれ、「これによって暴君関白は我らから見れば、彼ら仏僧に対するデウスの聖なる正義の棒、もしくは鞭であったことが判るのである」と都合のいい解釈を施している。

フロイスの記述は当時のキリスト教徒らしい排他主義的なものであるが、現代のキリスト教では他宗教にも部分的な真理を認めるというある種寛容な見方が取られつつある。

現代カトリック神学は、異教を福音の光に対立する闇とみなすのではなく、キリストが完全に実現した真理に部分的に関与するものと考えている。これは、キリスト教がすでに完全であり、諸宗教からもはや何も学ぶことがないというのでは決してない。キリスト教と諸宗教との対話は、つねに相互の授受である。(『新カトリック大事典』「異教」の項)


キリスト教のカトリックでは上記のような見解。他宗教との関係改善をはかるという戦略的な意図も含まれているのだろうが、異教=悪魔の所産とみなしていたようなフロイスの時代から比べると格段の変化である。

【典拠文献・参考文献】
新カトリック大事典編纂委員会編『新カトリック大事典』第1巻 研究社 1996年6月
松田毅一・川崎桃太訳『完訳フロイス日本史3』中公文庫 2000年3月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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