正岡子規「十一人一人になりて秋の暮」

明治28年(1895)10月18日-この日、正岡子規の姿は三津の窪田(久保田)回漕店にあった。東京に帰るべく、前日の夜より三津に移った子規は、同回漕店で船待ちをしていたのであった。18日のこの日、子規を見送ろうと柳原極堂ら友人10名が同回漕店に集まった。極堂の『友人子規』には同日のことが次のように記されている。

翌十八日午後予は三津浜に子規をたづねた。他の松風会員も已に見えてゐた。(中略)「諸友に三津迄送られて……酒あり飯あり十有一人秋の暮」「留別……十一人一人になりて秋の暮」等に見れば我々の数は十名であったのである。久保田回漕店の客室は一間十畳位のものが四五室並んでゐて、其の縁先に砂浜を隔てゝ瀬戸内海が見えてゐるのであるが、子規は其の中ほどの室に陣取ってゐた。作句もし揮毫などもして、夕刻に至り晩餐の饗応をうけた。「酒あり飯あり」は其の光景である。斯くするほどに、終列車の時間が迫ったと店からの注意をうけて、盡きぬ名残を惜みつゝ我々一同は子規と袂を分った。時間は十時位であったらうか。(柳原極堂『友人子規』「帰省・二」)


この日、窪田回漕店に集まった友人10名は、近藤我観、中村愛松、御手洗不迷、野間叟柳、釈一宿、国安半石、玉井馬風、白石南竹、伴狸伴、そして既記の柳原極堂。船の出航が遅れ、子規の乗船は翌日となったので、友人らは送別の宴のあと終列車で松山に帰った。「諸友に三津迄送られて」の前書をもつ「酒あり飯あり十有一人(じゅうゆういちにん)秋の暮」、「留別」の前書をもつ「十一人一人(ひとり)になりて秋の暮」はこのときのことを詠んだものである。明治28年秋の故郷出立……以後、35年の死に至るまで帰郷することはなく、子規にとってはこれが故郷とのとわの別れとなった。

▼ 三津浜港フェリー待合所前にある「十一人一人になりて秋の暮」の子規句碑
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当ブログ以下の関連する記事も参照いただきたい。
2010年10月12日記事→http://yomodado.blog46.fc2.com/blog-entry-384.html
2011年8月31日記事→http://yomodado.blog46.fc2.com/blog-date-201108-5.html
当時、三津にあった窪田(久保田)回漕店については、2010年6月7日記事→http://yomodado.blog46.fc2.com/blog-entry-326.html、および近代デジタルライブラリーで「商工案内松山名所普通便覧」を検索、その第75画像参照。

【参考文献】
柳原極堂『友人子規』前田出版社 1943年2月
『子規全集』第2巻(俳句2)講談社 1975年6月
『子規全集』別巻3(回想の子規2 附補遺)講談社 1978年3月

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テーマ : 歴史上の人物
ジャンル : 学問・文化・芸術

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