正岡子規「墓いづれとも見定めず」

子規の曾祖父常武の後妻、小島久(常武とは事実婚)は、子規とは血のつながりはなかったが、幼少の子規に愛情を注ぎ、子規もよくなついていた。

私の祖母に当る人は名うてのやかましやでございましたが、升(のぼる)には目も鼻もないやうにやさしうしまして、それはそれはえらい自慢をしよりました。まアあんな自慢がよう言へる事よと思ふやうな事を言ひまして……升も其曾祖母にはよくなついて居りました。(正岡八重「母堂の談話」碧梧桐記)


久は明治21年6月26日に83歳で死去し、道後鷺谷墓地に葬られた。久の死を伝え聞いた子規は大いに悲しみ、同年夏に執筆した『七草集』に「我幼少の時より養育せられし老嫗のみまかりたりときゝて涙にむせびける」と記し、「添竹の折れて地にふす瓜の花」の追悼句を載せている。28年に帰郷した折りには、鷺谷墓地を訪れ、久の墓をさがすが、見つけることができなかった。

しる人の墓を尋ねけるに四五年の月日ハ北邙の山 墳墓を増してつひに見あたらず
 花芒(はなすすき)墓いづれとも見定めず  (『散策集』明治28年10月6日)


深きちなみある老女の墓に謁でんと鷺谷をめぐりしに数年の星霜は知らぬ石塔のみみちみちてそれぞとも尋ねかねて空しく帰りぬ
  花芒墓いづれとも見定めず  (『寒山落木』巻四)


明治30年には久のことを詠んだ新体詩「老嫗某の墓に詣づ」も書いている。

老嫗某の墓に詣づ

われ幼くて恩受けし
姥(うば)のなごりの墓じるし、
せめては水を手向けんと
行くや、湯月の村の外。
昔辿りし田の小道、
寺を廻りて埋葬地、
三年過ぐればこは如何に、
墓満ち満ちぬ、尾に谷に。
(以下略)


久を追慕する子規の思いは深い。日本文学の研究で有名なドナルド・キーンのこの詩に対する評価を引いておこう。

子規は墓について書くだけでなく、自分の喪失感を伝えている。その親切が自分の少年時代を堪えられるものにしてくれた老女の思い出を、子規は捜し求めている。(中略)この新体詩は、あまり引用されることがないが、子規の俳句や短歌と同じく私を感動させる。(ドナルド・キーン 角地幸男訳『正岡子規』第八章「新体詩と漢詩」)



【典拠文献・参考文献】
『子規全集』第2巻(俳句2)講談社 1975年6月
『子規全集』第8巻(漢詩 新体詩)講談社 1976年7月
『子規全集』第9巻(初期文集)講談社 1977年9月
『子規全集』別巻2(回想の子規1)講談社 1975年9月
ドナルド・キーン 角地幸男訳『正岡子規』新潮社 2012年8月

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テーマ : 歴史上の人物
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