明治28年10月6日の正岡子規

明治28年(1895)10月6日-この日、松山地方は快晴、子規は体調もよいので、漱石と道後に出掛けた。

今日ハ日曜なり 天気は快晴なり 病気ハ軽快なり 遊志勃然 漱石と共に道後に遊ぶ 三層楼(注-道後温泉本館)中天に聳えて来浴の旅人ひきもきらず
   温泉楼上眺望
 柿の木にとりまかれたる温泉(いでゆ)哉 (正岡子規『散策集』明治廿八年十月六日)


「温泉楼上眺望」とあるから風呂嫌いなはずの子規も道後温泉本館の湯に入り、階上の休憩室でくつろいだのであろう。このあと鷺谷の墓地に向かい、幼少の子規を可愛がってくれた小島久(子規の曾祖父の後妻)の墓をさがすが、見つけることができなかった。

しる人(注-小島久)の墓を尋ねけるに四五年の月日ハ北邙の山 墳墓を増してつひに見あたらず
 花芒(はなすすき)墓いづれとも見定めず  (同上)


引き返して鴉溪の料亭「花月亭」で休憩、遊郭のある松ケ枝町を過ぎて宝厳寺に参詣した。宝厳寺は漱石が『坊っちゃん』で「左に大きな門があって、門の突き当りがお寺で、左右が妓楼である。山門のなかにまた遊郭があるなんて、前代未聞の現象だ」と書いた寺である。

宝厳寺の山門に腰うちかけて
 色里や十歩はなれて秋の風  (同上)


▼ 宝厳寺
DSCF1274_convert_20121003130640.jpg

▼ 宝厳寺境内にある「色里や十歩はなれて秋の風」の子規句碑(昭和49年10月6日建立)。
DSCF0983_convert_20120930090640.jpg

帰途、繁華街の大街道を通る。新栄座という劇場の前で漱石が「てには狂言(照葉狂言)」を見ようと言うので、子規もこれに従った。

帰途大街道の芝居小屋の前に立ちどまりて 漱石てには狂言見んといふ 立ちよれば今箙の半ば頃なり  (同上)


のちに漱石の弟子となる安倍能成は、この日、新栄座で狂言見物をしている子規・漱石の姿を目撃している。

子規が漱石の許(もと)に投じたのは、二十八年の夏秋の交であったらう。その頃「照葉狂言」が松山に来ること度々であったが、気候は暑く、人々が団扇をはたはたと動かして居た頃、私は二階の大入場(松山では「追ひごみ」といった)から、下の桟敷に子規と漱石とが団扇をはたきつゝ照葉狂言を見物して居た姿を見たことがある。(安倍能成『我が生ひ立ち』)


この狂言は泉祐三郎という役者が座長で、その妻の小作(こさく)が女役者として人気があった。

一番の主役は祐三郎の妻で小作といひ、これは中々の美人であって、シテ役は男女に拘らず皆やった。美女が男役をやる所に又魅力があったのであらう。(安倍能成・上記書)


子規はこの美人役者の小作を句に詠んでいる。

小さくといへる役者の女ながらも天晴腕前なりけるに
 男郎花は男にばけし女哉  (正岡子規・上記書)


「男郎花(おとこえし)」はオミナエシ科の花。男役を演じる小作をこの花に喩えて詠んだのであろう。

【典拠文献・参考文献】
安倍能成『我が生ひ立ち』岩波書店 1966年11月
『子規遺稿 散策集』(増補版)松山市教育委員会 1977年11月

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ
にほんブログ村
にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 松山情報へ
にほんブログ村

テーマ : 歴史上の人物
ジャンル : 学問・文化・芸術

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
QRコード
QRコード