鹿島城

▼ 松山北条沖の鹿島(標高113.8m・島の周囲約1700m)
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戦国時代初期、伊予の豪族河野氏が斎灘(いつきなだ)を航行する船舶を監視するためこの島を城郭化した(鹿島城・中世文書では「賀島」の表記)。

15世紀の最末期には、河野氏の命で忽那氏の一部がこの城に在番、のち来島村上氏(河野氏の重臣)出身の得居通幸がこの城の主となり、大改修を施して海城(うみじろ)としての整備をはかった。

織田信長が勢力を拡大すると、得居通幸は来島村上氏とともに河野氏に離反して、織田方についた。このため毛利・河野・能島村上の連合軍が得居通幸の拠る鹿島城を激しく攻撃したが(天正11年〈1583〉3月)、この城は海城としての堅固な防御性を発揮し、攻撃側の島への上陸を許さなかった。

鹿島城は五つの曲輪(くるわ)が階段状に連なる連郭式の城だったという。石積の一部は今も残っているらしい。

【参考文献】
山内譲『海賊と海城 瀬戸内の戦国史』平凡社選書 1997年6月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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