ドストエフスキー「幼年時代の思い出ほど尊いものはない」

ドストエフスキーの小説『カラマーゾフの兄弟』-この作品のなかほどで、ゾシマ長老は「幼年時代の思い出ほど尊いものはない」という。

わたしが親の家から持って出たものは、尊い思い出だけだった。なぜなら人間にとって、親の家ですごした幼年時代の思い出ほど尊いものはないからだ。家庭内にたとえほんの少しでも愛と結びつきがありさえすれば、ほとんど常にそうだと言ってよい。どんなにひどい家庭でも、こちらの心が尊いものを求める力さえあるなら、尊い思い出がそっくり残ることはありうるのだ。(第二部第六編「ロシアの修道僧」)


この作のエピローグでは、アリョーシャがまた同じような発言をしている。

いいですか、これからの人生にとって、何かすばらしい思い出、それも特に子供のころ、親の家にいることに作られたすばらしい思い出以上に、尊く、力強く、健康で、ためになるものは何一つないのです。君たちは教育に関していろいろ話してもらうでしょうが、少年時代から大切に保たれた、何かそういう美しい神聖な思い出こそ、おそらく、最良の教育にほかならないのです。そういう思い出をたくさん集めて人生を作りあげるなら、その人はその後一生、救われるでしょう。そして、たった一つしかすばらしい思い出が心に残らなかったとしても、それがいつの日か僕たちの救いに役立ちうるのです。(「エピローグ」)


子供のころのすばらしい思い出……だが、それは懐旧の念に浸るためのものではない。自己の「物語」とでもいうべきものを見出して「人生を作りあげる」ためのもの、思い出はそのためのものである。

人間が生きてゆくためには自己の「物語」、個人の「神話」というものが必要であるという。

人間は「物理」だけでは生きてはいけない生きものだ。この世に生きていくためには、片方に「物語」という証明不可能な世界が、どうしても必要なのである。(中略)人は「物語」を信じて生きる。そしてその「物語」を信じて死へおもむくのである。(五木寛之『元気』)


現代においては、各人は自分にふさわしい個人神話を見出す努力をしなくてはならない。(中略)生きることそのものが神話の探求であり、神話を見出そうとすることが生きることにつながると言うべきであろう。(河合隼雄『神話と日本人の心』)


人生の前半はその「物語」を醸成する期間、後半はその「物語」によって意味づけられた生を受容してゆく期間であるといえるかもしれない。

【典拠文献・参考文献】
河合隼雄『神話と日本人の心』岩波書店 2003念7月
原卓也訳『カラマーゾフの兄弟(中)』新潮文庫(改版)2004年1月
原卓也訳『カラマーゾフの兄弟(下)』新潮文庫(改版)2004年1月
五木寛之『元気』幻冬舎 2004年4月

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テーマ : 日記
ジャンル : 学問・文化・芸術

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