明治34年9月19日の正岡子規

子規の『仰臥漫録』明治34年(1901)9月19日条に次のような記述がある。

九月十九日 晴(中略)長塚ヨリ鴫三羽小包ニテ送ル由ノ報来ル。其末ニ
昨今秋もやうやうけしき立申候。百舌(もず)も鳴き出し候。椋どりもわたり申候。蕎麦の花もそろそろ咲出し候。田の出来は申分なく秋蚕も珍しき当りに候。
トアリ。田舎ノ趣見ルガ如シ。一寸(ちょっと)往テ見タイ。
母ハ稲ノ一穂ヲ枕元ノ畳ノヘリニサシタ。(『仰臥漫録』)


同日、病床の子規のもとに茨城結城の長塚節より来信、同地の秋の風情を伝える文面を読んで子規は「ちょっと行ってみたい」と思った。すると、その子規の枕元に一本の稲穂。母八重が一本の稲穂を枕元の畳のへりに挿して秋の雰囲気を伝えたのであった。子規の気持ちを察しての母のやさしいふるまい。子規はそれを『仰臥漫録』に記した。子規の死はこの日からちょうど1年後の明治35年9月19日であった。

【典拠文献】
『子規全集』第11巻(随筆1)講談社 1975年4月

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テーマ : 歴史上の人物
ジャンル : 学問・文化・芸術

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