忽那山(くつなやま)

▼ 松山市北吉田町の忽那山(石油タンクの間に見える丘陵が忽那山。三津浜港から撮影)
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忽那山は松山市の西端に位置する標高49.1mの小分離丘陵。西は伊予灘に面している。銜山城(くつわやま-)、轡山城(くつわやま-)、吉田城、忽那山城などと呼ばれる城砦がこの山にあった。同城は忽那島(中島)を本拠地とした忽那氏の伊予本土における活動拠点。『忽那嶋開発記』には、忽那通定が忽那島内の城とともに「銜山城主」であったとの記述、また忽那通著が「常に温泉郡吉田城に居す」との記述が見える。『予陽河野家譜』によると、永禄8年(1565)6月、豊後の大友軍が伊予に侵攻しようとした際、忽那通著が弟通恭、村上通康らの来援をうけてこの城にこもり防戦、大友軍を撃退したというが、同書は物語的な性格があるというから、この一戦の史実性は疑問。

【参考文献】
『日本歴史地理大系39 愛媛県の地名』平凡社 1980年11月
『角川日本地名大辞典38 愛媛県』角川書店 1981年10月
『松山市史料集』第2巻 松山市役所 1987年4月
山内譲編『古代・中世伊予の人と地域』関奉仕財団 2008年4月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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