夏目漱石と道後温泉

小説『坊っちゃん』の記述(道後は「住田」の名で出る)

此住田と云ふ所は温泉のある町で城下から汽車だと十分許(ばか)り、歩行(ある)いて三十分で行かれる、料理屋も温泉宿も、公園もある上に遊廓がある。(中略)おれはこゝへ来てから、毎日住田の温泉へ行く事に極めて居る。ほかの所は何を見ても東京の足元にも及ばないが温泉丈(だけ)は立派なものだ。折角来た者だから毎日這入ってやろうと云ふ気で、晩飯前に運動旁(かたがた)出掛ける。(中略)温泉は三階の新築で上等は浴衣をかして、流しをつけて八銭で済む。其上に女が天目へ茶を載せて出す。おれはいつでも上等へ入這入った。(中略)湯壺は花崗岩を畳み上げて、十五畳位の広さに仕切ってある。大抵は十三四人漬ってゐるがたまには誰も居ない事がある。深さは立って乳の辺まであるから、運動の為めに、湯の中を泳ぐのは中々愉快だ。おれは人の居ないのを見済ましては十五畳の湯壺を泳ぎ巡って喜こんで居た。所がある日三階から威勢よく下りて今日も泳げるかなとざくろ口を覗いて見ると、大きな札へ黒々と泳ぐべからずとかいて貼りつけてある。湯の中で泳ぐものは、あまり有るまいから、この貼札はおれの為めに特別に新調したのかも知れない。おれはそれから泳ぐのは断念した。(『坊っちゃん』三)



以下、漱石の書簡

道後温泉は余程立派なる建物にて八銭出すと三階に上り茶を飲み菓子を食ひ湯に入れば頭まで石鹸で洗って呉れるといふ様な始末随分結好に御座候。(明治28年5月10日付狩野亨吉宛)


松山に居た頃の事を思うとまるで夢のように候。一度はまた遊びに行きたき感もこれあり。道後の湯は実にうれしきものに候。(明治38年5月8日付村上霽月宛)


松山へ御帰りの事は新聞で見ました。(中略)何だかもう一遍行きたい気がする。道後の温泉へも這入りたい。あなたと一所に松山で遊んでゐたら嘸(さぞ)呑気な事と思ひます。(明治41年7月16日付高浜虚子宛)


近来俳句を作らず。作ろうとしても出来かね候。道後の湯へでもつからねば駄目と存じ候。(明治41年7月27日付村上霽月宛)


夏目漱石が在松時代(明治28年4月から1年間)愉しみとしていたのは道後温泉へ行くことであった。当時の教え子真鍋嘉一郎は漱石が「毎日半里の温泉まで通った」と述べている(漱石全集別巻所収「夏目先生の追憶」)。

▼ 道後温泉本館
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