裏千家十一代玄々斎と三津浜

三津浜の豪商であった天野家の屋敷には「以静庵」と呼ばれる茶室があった。『三津浜誌稿』にはこの天野家の茶室が裏千家十一代玄々斎の手になったものであるとの註記がある。

明治三十五年頃、当時天野家は槌屋という、造酒屋であったが、昼火事により全焼してしまったという。隆盛を誇った天野家も後年は昔日の面影なく、庭園にあった立派な茶室(玄々斎の手になったもの)は郡中の宮本小三郎氏に買はれたとも云はれ、焼失はまぬがれている。(『三津浜誌稿』第二章「各町の変遷」十四「新町」)


この天野家の「以静庵」で催された茶会の記録が伝存しているが、それによると、裏千家を通じて入手したと思われる茶道具の名品が数多く使用されており、「その財力と、地方における文化水準の高さを裏付けるもの」(『松山市史料集』第7巻解題)であるという。

玄々斎は藩政時代には、松山藩の茶道奉行として二百石を支給されていたが、維新後はその禄も失い、自活の道を求めて、町方豪商たちへの指導を積極的におこなうようになった。藩政時代より松山をたびたび訪問していた玄々斎であったが、明治7年(1874)の8月頃、来松したおりには、三津(神田町4丁目)の善宗寺に居を求め、翌年の5月下旬まで同寺に滞在して茶道の普及につとめた。三津滞在中は「毎日のように松山へ出て町方の指導に当たっていた」(武田幸男『松山藩と裏千家茶道』)という。

▼ 玄々斎が長期滞在していた三津の善宗寺
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【典拠文献・参考文献】
三津浜郷土史研究会編『三津浜誌稿』1960年12月
松山市史料集編集委員会編『松山市史料集』第7巻 松山市役所 1986年4月
武田幸男『松山藩と裏千家茶道-茶道覚書-』愛媛県文化振興財団 1994年3月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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