赤穂浪士の墓(興聖寺)

松山市末広町の興聖寺--境内には、赤穂浪士の大高源吾・木村岡右衛門の墓、大高源吾の句碑、木村岡右衛門の漢詩碑、両人の介錯をつとめた松山藩士宮原久太夫の墓がある。

▼ 大高源吾・木村岡右衛門の墓
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吉良邸に討入って本懐を遂げた赤穂浪士47人のうち大高源吾、木村岡右衛門など10人は、松山藩の預かりとなり、討入り翌年の2月4日、江戸三田の松山藩邸で幕命により切腹した。

▼ 大高源吾の句碑
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未二月四日 子葉末期
梅でのむ茶屋も有べし死出の山 子葉


「未」は「ひつじ」の年。赤穂浪士が切腹した元禄16年(1703)の干支は癸未であった。「子葉」は大高源吾の号。「梅でのむ~」はその辞世の句である。

▼ 木村岡右衛門の漢詩碑
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吉良邸討入之際冑内之詩 木村岡右衛門貞行
身寄浮雲滄海東
久愆恩義世塵中
看花對月無窮恨
散作暁天草木風


木村岡右衛門は討入りの際、兜頭巾の裏に自作のこの詩を縫い込んでいたという。

▼ 宮原久太夫の墓
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大高源吾と木村岡右衛門の介錯は、松山藩徒目付(かちめつけ)の宮原久太夫がおこなった。宮原は両人の遺髪を松山に持ち帰り、宮原家の菩提寺である興聖寺に納めて供養した。

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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