明治25年8月5日の正岡子規

明治25年(1892)8月5日-この日、子規は高浜虚子、河東碧梧桐、新海非風とともに三津の「溌々園」に赴き、競吟(せりぎん)句会をおこなった。この句会での兼題は「蓮の花」「泳ぎ」「沖膾(おきなます)」など。子規はこれらの題で「咲立つて小池のせまき蓮哉」「ともづなにあまの子ならぶおよぎ哉」「はね鯛を取て押へて沖膾」などの句を詠んでいる。

河東碧梧桐の『子規を語る』に「三津のイケス」という章があるが、この章は同日の句会の模様を再現したものである。以下にその一部を引いておこう。

碧梧桐と虚子は持って来た風呂敷包みをあけて、紙や筆を整理したり、借りた硯で墨をすったりしていた。夏らしくない小雨がしとしと降りこんで、庭に伸びた南天の細長い枝が、頭を重そうにシナっていた。
虚子「何か題を出してもらわんと……。」
碧梧「そうよな。のぼさん題を出しておくれや。」
非風「もう始めるのかな、野暮の床いそぎじゃな。まアゆっくり別嬪論でもやる位な余裕を持とうじゃないか、ハッハッ。」
子規「さア何でもそこらにあるものでよかろがな、何でもお出しや。」
非風「題を出すって、いつもの競り吟じゃろうな、それならアシが出す、田舎者の髪の匂い、どうぞな、いかんかな、女の素肌、こりゃアちょっとよかろがな、いかんな、そうかな、人三化七針金眼(ひとさんばけしちはりがねまなこ)に団子鼻はどうぞなハッハッ。」
一同「アハハハハハハ。」
子規「エエ加減にしようや。へーさんお前何かお出しや。」
碧梧「出してもエエかな、じゃ蓮の花。」
子規「蓮の花、そうそう来る道に咲いとったな。アシらが小さい時分、お壕の蓮が一杯じゃったがな、南堀端の何とか庄兵衛と言ったお爺さんが、蓮のさかり時分はポンポン花のさく音がして、床の中でひとりでに目がぱちりと明き、ポンと来るとまた頭があがり、またポンと来ると半身が起きて、ひとりでに床の中から起きられる、と言いよいでたそうな。」
(中略)
子規「ハハハハ、けれどな、蓮の花のさく音で眼が覚めるような静かな気分はわるくないな、オイ一つ出来たかイ。」
蓮の花と題を書いた一枚の紙へ
 咲立つて小池のせまき蓮哉
草書ですらすらと書いた。黙って考えていた虚子がすぐ筆をとって、そのあとへ
 ふいと来た胡蝶にさくや蓮の花
と書いた。碧梧桐は十分まとまらなかったが、大急ぎにまとまりをつけて
 蝶々の散るにはもろき蓮かな
とつづけた。  (河東碧梧桐『子規を語る』「十四 三津のイケス」)


参会者はいずれも松山の出身者であったから、同日の句会はこのように松山弁まる出しでおこなわれたのであろう。

【典拠文献・参考文献】
『子規全集』第15巻(俳句会稿)講談社 1977年7月
河東碧梧桐『子規を語る』岩波文庫 2002年6月

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テーマ : 歴史上の人物
ジャンル : 学問・文化・芸術

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