吉田蔵沢の墓

▼ 吉田蔵沢(1722-1802)の墓がある大法寺(松山市本町5丁目)
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▼ 吉田蔵沢の墓・松山市指定記念物(史跡)
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吉田蔵沢は江戸中期の松山藩士。余技として墨絵を描いたが、画業は本格的な名人の域に達していた。晩年は画題を竹に限定、地元では「竹の蔵沢」として知られている。

東京根岸の子規の家の床の間には、この蔵沢の墨竹の大幅が掛けられていた。子規は佐伯政直宛の書簡(明治32年8月23日付)の中で、この大幅を「私の宝物」といい、蔵沢の画は「松山を誇り申候」もので、「昔より南宋の画家多けれど竹ニ於テ蔵沢位なのハなかるべく諸大家(画ノ大家)の賞賛を博し申候」と述べている。

蔵沢の竹も久しや庵の秋 子規(明治31年)


夏目漱石も蔵沢の画を好んだ。蔵沢を手本に墨竹を描いたこともあったという。「殊に蔵沢の墨竹は大変珍重しまして、自分でもそれを手本に竹を描くといふので、毛氈の上に紙をひろげて、尻をはし折って一気に墨痕淋漓と勢ひよく描き上げようといふので大騒動でした。尤もこれは大病のなほったたしか翌年頃だったと思ひますが、この蔵沢張りの墨竹をやたらに描いた時代がございます」(夏目鏡子『漱石の思ひ出』)。

蔵沢の竹を得てより露の庵 漱石(明治43年)


【典拠文献・参考文献】
『子規全集』第19巻(書簡2)講談社 1978年1月
夏目鏡子『漱石の思ひ出』(改版)岩波書店 2003年10月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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