明治29年の自然災害

明治29年(1896)6月15日、三陸沖に地震が発生、大津波を引き起こし、岩手県を中心に死者2万人以上といわれる甚大な被害をもたらした(明治三陸地震津波)。同月29日発行の新聞「日本」俳句時事評欄には「海嘯」の見出しで、この災害のことがとりあげられている

六月十五日恰も陰暦の端午に際して東北海岸幾万の生霊は一夜に海嘯の為めに害(そこな)はれおはんぬ。あはれ是れ程の損害天災にも戦争にも前代未聞の事どもなれば聞くこと毎に粟粒を生ぜずといふことなし。
 ごぼごぼと海鳴る音や五月闇
 菖蒲葺いて津波来べしと思ひきや
黒山の如き大波は毒舌を出だして沿岸のもの家とも言はず木とも言はず人とも言はず忽ちに舐め去りぬ。噫惨又惨。叫喚の声耳に聞えて全身覚えず戦慄す。
 時鳥救へ救へと声急なり
 蚊柱や漁村盡くつぶれたり
 海松かゝるつなみのあとの木立かな
 晝顔にからむ藻屑や波の音
 短夜やほろほろ燃ゆる馬の骨
幸にして生き残りたるは親を失ひ子を失ひ妻を失ひ家を失ひ食を失ひ命一つを浮世にもてあましたるもなかなかあはれならぬかは。
 皐月寒し生り残りたるも涙にて
 生き残る骨身に夏の粥寒し
天下の人誰か之を悲まざらん、死したるは棺なく生きたるは食なきに。
 五月雨は人の涙と思ふべし
 此頃は蛍を見てもあはれなり
良民何の罪かある。馮夷すべからく罰すべし。
 若葉して海神怒る何事ぞ
長く東海の波を封じて再び此災害なからしむべきなり。
 あら海をおさえて立ちぬ雲の峰
かしこきあたりには此事を聞こしめしてより直ちに金円を下し賜はり侍従をして実況を見せしめらる。
 夏草や甘露とかゝる御涙


この記事は無署名であるが、執筆したのは日本新聞の社員・正岡子規であった。記事中の「馮夷(ひょうい)」は海の神のことを言ったものであろうか、本来は河の神の名、雨の神の名である。「かしこきあたり」が明治天皇のことであるのはいうまでもない。

この三陸地震津波から2カ月半後の8月31日、岩手・秋田両地方に内陸直下型の地震が発生、209名の死者が出た(陸羽地震)。明治29年はこの二度の大規模な自然災害にみまわれた年であったが、子規は同年のこの災害のことを「明治二十九年」と題する新体詩の中で詠んでいる。

 三陸海嘯
太平洋の水湧きて
奥の浜辺を洗ひ去る。
あはれは親も子も死んで
屍も家も村も無し。
  人すがる屋根は浮巣のたぐひかな


 東北地震
奥の海荒れて人溺れ
出羽の地裂けて家頽る
火宅の住居今さらに
心安くもなき世かな
  地震さへまじりて二百十日かな


新体詩「明治二十九年」は30年1月1日発行の「日本」に発表された。詩中の「火宅」はこの世を燃えさかる家に喩えた仏教語。『法華経』「譬喩品」の「三界無安 猶如火宅(三界は安きことなく、なお火宅のごとし)」をふまえて「火宅の~世かな」と詠んでいる。

【典拠文献】
坂本幸男・岩本裕訳注『法華経(上)』岩波文庫 1962年7月
『子規全集』第8巻(漢詩 新体詩)講談社 1976年7月
『子規全集』第12巻(随筆2)講談社 1975年10月

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ
にほんブログ村
にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 松山情報へ
にほんブログ村

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
QRコード
QRコード