正岡子規、はじめての漢詩

祖父大原観山病没の前後から土屋久明に素読を学んだ子規は、この師から漢詩の作りかたも学んだ。土屋久明に就いて3年を経た明治11年(1878)の夏、数え年12歳の子規は五言絶句の漢詩をはじめて作り、以後毎日一首ずつ作っては師の添削を乞うた。

其後観山翁は間もなく物故せられしが、引きつゞきて土屋久明先生の処へ素読に行きしかば、終(つい)に此先生につきて詩を作るの法、即ち幼学便覧を携へ行きて平仄のならべかたを習ひしは明治十一年の夏にて、それより五言絶句を毎日一ツづゝ作りて見てもらひたり。(正岡子規『筆まかせ』第一編「哲学の発足」)


子規が作ったはじめての漢詩というのは、「聞子規」と題する次の五言絶句であった。

聞子規
  余作詩以此為始
一声孤月下
啼血不堪聞
半夜空欹枕
古郷万里雲

子規を聞く
   余の作詩これをもって始めとなす
一声 孤月の下
啼血 聞くに堪えず
半夜 空しく枕を欹(そばだ)つ
古郷 万里の雲


啼いて血を吐くというホトトギスの漢名が「子規」。正岡常規(つねのり)は明治22年(1889)5月の喀血によって子規と号するようになるのだが、この詩はその将来を暗示するものとなっているようにも思われる。

【典拠文献・参考文献】
『子規全集』第8巻(漢詩 新体詩)講談社 1976年7月
『子規全集』第10巻(初期随筆)講談社 1973年5月

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ
にほんブログ村
にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 松山情報へ
にほんブログ村

テーマ : 歴史上の人物
ジャンル : 学問・文化・芸術

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
QRコード
QRコード