正岡子規「詩を作るようになりたし」

正岡子規は数え年7歳のころ、祖父大原観山の私塾に素読を学びにかよった。すでに小学校にもかよっていたので、その素読の稽古は朝早くにおこなわれた。母八重は早起きが苦手な子規をまだ暗いうちから起こすのに苦労したようである。

小学校へ行くその前に、祖父の処へ素読に参りますが、朝暗いうちに起しますから、なかなか起きませんので、毎朝毎朝蜜柑やお菓子を手に持たしては目をさまさせます。そうせんと起きませんのよ。(正岡八重談・碧梧桐記「母堂の談話」)


子規と一緒に観山塾にかよった三並良(母八重の従弟に当たる)は、子規と自分の二人だけは観山先生みずからが指導したと当時の思い出を語っている。

私達は子規には祖父、私には伯父に当る大原観山先生に素読を教はることになって、毎朝五時頃相携へて先生の処へ行った。先生は家塾を開いて居て、他の子供には門人が教へて居たが、子規と私とには自ら教へた。先生は升(子規の幼名)は初孫で可愛いから教へる幸(私の幼名)は松陽先生(私の祖父で矢張り漢学者だった)の孫だから、御恩報じの為め教へると云って居られた。此の時子規は既に二葉からの香しさを見せて、先生の満足を得て居た。先生は私共を非常に可愛がってくれて、定刻には私共の到るのを待って居られた。先生の家と私共の家との距離は十分とかゝらなからうが、その途中に一匹の悪犬が居て、私共は時々飛びつかれた。或朝などは先生が棒を持って出て来られるのに中途で逢ったことがある。先生は余り犬の吠えやうが烈しいから、復たお前らが吠へられて居るのだらうと思って見に来た、と云はれたことなどもあった。(三並良「子規の少年時代」)


子規はこの観山塾で、塾生の詩稿に朱筆の添削があるのを見て、意味もわからないまま美しいと思い、はやく大人になって自分も詩(漢詩)をつくるようになりたいと思ったという。

余は幼時より何故か詩歌を好むの傾向を現はしたり。余が八九歳の頃外祖父観山翁のもとへ素読に行きたり。其頃の事なりけん、ある朝玄関をはいりしに其ほとりに二三人の塾生が机をならべゐしうちに、一人が一の帳面を持ち、其中には墨で字を書き其間に朱にて字を書きたるを見たり。それは何にやと問へば詩なりといふ。余は固(もと)より朱字の何物たるを知るよしもなく詩はどんなものとも知らず(朱字は添削したる故あしきなどとは毛頭存ぜず)たゞ其朱墨相交るを見て奇麗と思ひしなるべし、早く年取りて詩を作る様になりたしと思へり。(正岡子規『筆まかせ』第一編「哲学の発足」)

七八つの頃には人の詩稿に朱もて直しあるを見て朱の色のうつくしさに堪へず、吾も早く年とりてあゝいふ事したしと思ひし事もあり。(正岡子規「吾幼時の美感」)


「詩を作るようになりたし」、その思いが実現して子規が漢詩を作るようになったのは数え年12歳の夏。しばらくの間は毎日、五言絶句を一首詠んだという。子規の文学活動はこの漢詩という分野から始まった。

【典拠文献・参考文献】
『子規全集』第10巻(初期随筆)講談社 1973年5月
『子規全集』第12巻(随筆2)講談社 1975年10月
『子規全集』別巻2(回想の子規1)講談社 1975年9月
『子規全集』別巻3(回想の子規2 附補遺)講談社 1978年3月

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テーマ : 歴史上の人物
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