儀光寺の桜

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儀光寺(松山市古三津1丁目)の早咲きの桜。3月7日撮影。

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「猫の島」

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松山城山頂広場より西方伊予灘方面。海上の島は「猫の島」として知られる青島であろう。

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明治松山の起業家、小林信近

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松山市駅前に昨年建立された小林信近(1842-1918)の胸像。

小林信近は伊予鉄道の創設者(初代社長)として知られる。

民営の鉄道会社が日本にまだ二社しかなかった時代、小林はこの松山の地に民営鉄道の開設を企図、中央の管轄官僚からは「妄想」「空想」といわれながらも屈せず、全国三番目の民鉄「伊予鉄道」をこの地方都市に誕生させた。

ここにおいて翁は小鉄道敷設の願書を提出したが当時の鉄道局は真に受けず、これは狂人の妄想であろうというので直ちに却下した。翁は出頭して陳弁した。けれども無経験者の空想であるとして却々に許してくれぬ。再三熱誠を注いで懇願し哀願した末がようやく「それならやって御覧なさい」ということとなった。ときの鉄道局長官は有名な井上勝氏、技師は松本荘一氏であるが、この小鉄道がいよいよ竣工して意外の成績を挙げたる後は翁に対し大いに感謝の意を表し「軽便鉄道は実に君のお手柄であった」と感嘆賞讃したそうである。(井上要『伊予鉄道思ひ出はなし』)


小林は伊予鉄道を創設する以前にも、牛行舎(製織・製靴)、松山米商会社、第五十二国立銀行(現・伊予銀行)などを設立、商法会議所(現・松山商工会議所)会頭、海南新聞(現・愛媛新聞)社長も務めるなど実に多彩な事業家であった。

翁は政治上社会上の地位に安着するを好まず、常に興味をもって新事業の開発に志し、次から次へ新しき知識、新しき技能を欲求し、その実現を企てて止むところを知らぬありさまであった。故に翁の新事業を計画する場合は、あたかも鹿を逐う猟師の山を見ざるがごとく、翁はただ事業を見てその難易を見ず、かつこれをともにするその人のいかんを見ず、ために人のために誤られ、或いは欺かれて、失敗を招いたこともたびたびある。私はかつて翁にこれを忠告した。そのとき翁の答えがもっとも振っているのに感心した。すなわち新事業には常に失敗の危険がある故に金持ちや手堅い人はとても相手にならぬ。あなた方の危いと思うような人でないと事をともにするものはない。御忠告はもっともであるが、さようすればとうてい事業に手は出せぬと言われたことを記憶している。しかして翁はいかなる場合にもいまだかつて人に対して怨言を発し、または悪口を放ったことはない。実に寛仁大度の人格者であることに敬服するものである。しかして翁の産める児にして発育が不良のものもかなりに多く、また死産流産となりたるものも少なくないが、この鉄道と電気だけは幸いに成長を遂げ、翁を父母として永くその志を成したるは、けだし翁の満足されるところであろう。(同上)


伊予鉄道社長退任後の晩年におこなった事業はことごとく失敗、自邸も手放し、資産を失った。七十六歳死去。市内祝谷の常信寺にあるその墓は伊予鉄道が建立した。

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「歩兵第二十二聯隊跡」碑・「櫻井忠温誌」の格言碑(堀之内)

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堀之内(城山公園)にある「歩兵第二十二聯隊跡」碑。その傍らには「櫻井忠温(日露戦争の戦記小説『肉弾』の著者)誌」の格言碑(下の画像)。

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最も愛情あるものは最も勇敢なり 櫻井忠温誌


櫻井忠温の『肉弾』には次の文章(下線引用者)。

情を山川に寄せ、憶を風月に委ねて、家郷を望むは人情の常、心の猛き武夫(もののふ)とて、此情に何の差異があらうか? 最も勇敢なるものは最も柔和に、最も愛情あるものは最も剛毅なりとさへ、詩人は歌ったでは無いか? 嗚呼(ああ)彼等露兵、身は虐政の下に猟()り立てられ、家を去りて万里に苦厄を嘗む。其心事や誠に憐むべきでは無きか!(櫻井忠温『肉弾』第十九章「戦場の跡」)


下線部はアメリカの詩人Bayard Taylor(→外部サイト)の"The Song of the Camp"という詩の一節、

The bravest are the tenderest,—
The loving are the daring.


に該当するものであるのかもしれない。有名な一節であったらしく、新渡戸稲造の『武士道』にも

「最も剛毅なる者は最も柔和なり。最も愛ある者は最も勇敢なり」とは、古今東西の通義なり。(新渡戸稲造『武士道』第五章「仁愛 不忍の心」)


と出ている。

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堀之内よりの松山城本丸本壇。

【参考文献】
櫻井忠温『肉弾』英文新誌社 1906年4月
新渡戸稲造(櫻井鴎村訳)『武士道』丁未出版社 1908年3月

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