子規「はね鯛を取て押へて沖鱠」の句

明治25年(1892)8月5日-この日、正岡子規は河東碧梧桐、新海非風、高浜虚子とともに三津の料亭「溌々園」(通称「三津のいけす」)に赴き、競吟(せりぎん)をおこなった。同日の競吟の題は「蓮の花」「游(およぎ)」「沖鱠(おきなます)」など。子規はこの席で「咲立つて小池のせまき蓮哉」「ともづなにあまの子ならぶおよぎ哉」「はね鯛を取(とっ)て押へて沖鱠」等の句を詠んだ(「沖鱠」は沖でとれた魚を船上でなますにして食べる野趣あふれる料理)。

同日の競吟の模様は碧梧桐の『子規の話』の「三津のイケス」の章に克明に描かれている。以下、その「三津のイケス」の章の一部。

子規は次ぎの題を沖鱠ときめて、すぐに一句をかきつけた。
はね鯛をとっておさへて沖鱠
(中略)
一気に五句書きつづけてニタニタ笑っている子規は、どうやら俳境に身を浸したようなおちつきと満足に、その額の広い白々とした顔が輝いていた。横に切れた目尻に愛嬌の皺をよせて、じっと虚子を見た。
子規「きよさん、お前おされておしまいたのか。」
虚子「どうも出来んな、沖鱠というものを知らんけれな。」
非風「マアお前、さし身を食う気でやるのよ。ここで食やア、大抵の魚は生きとらい。ここの朝市でもお前、はね鯛を取って押さえようがな……なるほどな、ここの芸者は三味線を叩くな。」
子規「アハハハ、やっぱり気になると見えるな。」
非風「凡夫のあさましさでな、オイもう競り吟なんかやめようや。」
碧梧「まアこれからという処じゃがな、まアお待ちや。」 (河東碧梧桐『子規の話』14「三津のイケス」)


非風に言に「ここで食やア、大抵の魚は生きとらい」-「溌々園」は三津で水揚げされる新鮮な魚を提供することで有名だった。敷地内に海水を引きこんだ大きな生簀(いけす)があることから「三津のいけす」とも呼ばれていた。「ここの朝市」と言っているのは、その賑わいで有名だった三津の朝市のことである。

軽口もまじえての遊戯的な気分の競吟句会。三津「溌々園」でのその句会は122年前の今日(8月5日)おこなわれた。

【参考文献】
『子規全集』第15巻(俳句会稿)講談社 1977年7月
河東碧梧桐『子規の話』岩波文庫 2002年6月

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神戸税関・広島税関支署の監視艇「だいせん」

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神戸税関・広島税関支署の監視艇「だいせん」(全長26.4m・総トン数55t)。隣に停泊しているのは、松山海上保安部の巡視艇「いよざくら」。

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貨物船「EPOCH WIND」

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松山外港第1埠頭停泊中の貨物船「EPOCH WIND」。総トン数9962t。全長127.67m。建造年2014年。パナマ船籍。

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鰻の白葡萄酒漬け

ダンテ(1265-1321)の『神曲』に鰻が好物だったグルメのローマ教皇マルティヌス4世(在位1281-85)が死後、煉獄でその飽食の罪を償っているという記述がある。

彼の後ろにいる、他の誰より刺し子のようにひび割れたあの顔は、聖なる教会を両手に抱えたこともあった。トゥール出身で、絶食によりボルセーナの鰻とヴェルナッチャの白葡萄酒を償っている。(原基晶訳『神曲』「煉獄篇」第二十四歌)


『神曲』の古注はこの教皇について次のように記述。

食道楽の罪にかけてはたいへん罪深い人であった。好物の品は数々あったが、特に鰻が好きでボルセーナ湖から取り寄せては白葡萄酒に漬けて溺れ死なせ、それを焼いて食卓に出させた。非常な大好物で、年中それを所望し、自分の部屋の中で鰻を葡萄酒に漬けて溺れさせたほどである。


食料が豊かではなかった当時のヨーロッパでは飽食は社会的な罪だったらしい。鰻も美食とされていたようだが、白葡萄酒に漬けて焼いて食べるというのはいかがなものか。それほど美味とは思えないのだが……。

【参考文献】
平川祐弘訳『神曲 煉獄篇』河出書房新社 2009年1月
平川祐弘『ダンテ「神曲」講義』河出書房新社 2010年8月
原基晶訳『神曲 煉獄篇』講談社学術文庫 2014年7月

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「水飯」

『源氏物語』「常夏」の巻に飯に水を注いで食べる「水飯(すいはん)」というのが登場する。

いと暑き日、東の釣殿に出でたまひて涼みたまふ。中将の君もさぶらひたまふ。親しき殿上人あまたさぶらひて、西川(注-桂川のこと)よりたてまつれる鮎、近き川のいしぶし(注-川魚の一種)やうのもの、御前にて調じて参らす。例の大殿の君達、中将の御あたり尋ねて参りたまへり。「さうざうしくねぶたかりつる、をりよくものしたまへるかな」とて、大御酒(おほみき)参り、氷水(ひみづ)召して、水飯など、とりどりにさうどきつつ食ふ。(『源氏物語』「常夏」)


飯に湯を注いで食べる「湯漬(ゆづけ)」が冬の食事であるのに対し、「水飯」は夏の食事。上の『源氏物語』の場合は氷室に保存していた氷を使っての「水飯」だから、貴族ならではの贅沢な食事ということになるのだが、今のわれわれからすればこれ以下はないと思えるほどの粗末な食事。食生活の変化というものがいかに大きいかということが実感させられる。

【参考文献】
石田穣二・清水好子校注『源氏物語(四)』新潮社 1979年2月

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