「日永さやいつまでこゝにいよの富士 其戎」

▼ 碑表(左)・碑陰(右)
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日永さやいつまでこゝにいよの富士 其戎


大原其戎(1812-1889)の句。明治21年(1888)5月13日、久万ノ台成願寺での句会で詠まれた。「いよの富士」は興居島の南に聳える伊予小富士(標高282m)。山容が富士山に似ているのでその名がある。

大原其戎は正岡子規が師と仰いだ三津栄町(現在の松山市三津1丁目)の俳諧の宗匠。子規は自撰自筆の選句集『なじみ集』にこの句を収めた。

句碑は本年(2013年)5月、其戎の子孫によって恵美須神社(三津2丁目)境内に建立。同月26日に除幕式がおこなわれた。碑表は子規『なじみ集』の文字の拡大。

▼ 興居島の伊予小富士
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大洲城

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私が昭和三十年代のおわりごろ、はじめて大洲旧城を通過したとき、水と山と城が造りあげた景観の美しさに息をわすれる思いがした。
『愛媛面影』に、
比志川(註・肱川)の流れを引て、城郭の遠望殊にめでたし。
とあるが、私も、日本の旧城下町でこれほど美しい一角を持った土地はないと思ったりした。(司馬遼太郎『街道をゆく14』)



【参考文献】
司馬遼太郎『街道をゆく14 南伊予・西土佐の道』朝日新聞社 1981年6月

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大洲-伊予の小京都

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昔から小京都と呼ばれ、古典的な匂ひのある城下町。……千古斧鉞を加へざる山容に抱かれ、之を貫く碧水万里の肱川あり。其流域の大盆地が大洲である。水郷の大洲とも言はれ神秘境の大洲とも称されてゐる。(『観光の愛媛』)


大洲は伊予の京都とまで称せらるゝ程の勝地……(柳原極堂『友人子規』)


この間、伊予の大洲へ行った人が、名産の干鮎を送ってくれた。
それで、大洲のことを、思い出すのだが、あんな美しい町も、日本に少ないだろう。私の好きな町は、長州の萩、飛騨の高山、そして伊予の大洲だが、大洲に一番なじみが深い。

この城下町の古い町家街が、非常に美しい。建築がいいし、看板やノレンや日よけの色やデザインが、京都の洗練と、飛騨高山の素朴とを、合せ持ってる。よくこれだけ古い美しさが、残ったものと、感心させられる。そうした美しさをパリのモンマルトルにしても、飛騨の高山にしても、売りものにする観があるが、ここではそんな気配はない。
この町は毎日午(ひる)近くまで霧が深く、そのせいか、四国としては女の肌が白く、男性も平和的で、風俗人情が優美である。あの付近でも、大洲の人は優しいということになっている。静かで、小ぢんまりと、まとまった町で、海に遠くなく、魚や海草もうまい。隠栖の地として、私はここをねらってた。(獅子文六「大洲の殿様ともう一人」)



【参考文献】
『観光の愛媛』愛媛県観光協会 1940年1月
柳原極堂『友人子規』前田出版社 1943年2月
『獅子文六全集』別巻 朝日新聞社 1970年9月

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正岡子規「登大洲城」

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正岡子規、明治15年(1882)作の漢詩「登大洲城」。

登大洲城(大洲城に登る)
遺跡空荒棘(遺跡 空しく荒棘)
回頭感慨多(頭を回らせば感慨多し)
人家遥帯野(人家 遥かに野を帯び)
城郭直臨河(城郭 直ちに河に臨む)
雲外聳松柏(雲外 松柏聳え)
溝中満芰荷(溝中 芰荷満てり)
俯看急灘上(俯して看る 急灘の上)
小艇載薪過(小艇 薪を載せて過ぐ)


明治15年、数え年16歳の子規は大洲地方を旅した。

明治十五年には大洲地方へ行き四五泊して帰りたり。(正岡子規「水戸紀行」)


詩中に「芰荷」(「芰」=「ひし」、「荷」=「はす」)の語が見えるから季節は夏であったろう。大洲は松山から約40kmの地。鉄道のない時代だったから、徒歩旅行である。「余は生れてより身体弱く外出は一切嫌ひにて只部屋の内にのみ閉ぢこもり…」(「水戸紀行」)と言う子規にとっては、前年の久万山岩屋寺旅行につづく大冒険であった。

【参考文献】
『子規全集』第8巻(漢詩 新体詩)講談社 1976年7月
『子規全集』第13巻(小説 紀行)講談社 1976年9月

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大洲・肱川-神伝流発祥の地

▼ 「神伝流発祥の地」碑(大洲城苧綿櫓下の肱川河原)
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神伝流は全国に12残る古式泳法の一。江戸初期、大洲藩重臣の加藤主馬光尚によって創始され、藩士の武術として代々伝習された。大洲盆地を流れる肱川がその発祥の地であるという。平成14年(2002)、愛媛県の無形文化財に指定(「大洲神伝流泳法」)。

大洲神伝流の泳法は江戸後期、松山藩にも伝えられた。松山藩では「お囲い池」がその練習場であった。

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