『なじみ集』-伊予小富士の句

正岡子規の選句稿『なじみ集』。子規なじみの人々の句を集録したこの書には、故郷松山の子規なじみの風景、伊予小富士を詠んだ句がある。

日永さやいつまでこゝにいよの富士
瀬戸落す舟もかすむや小ふじ山

「日永さや~」は大原其戎(きじゅう)、「瀬戸落す~」は森連甫(れんぽ)の句である。其戎は子規が唯一の師と仰いだ俳諧の宗匠、連甫はその高弟。二人はともに三津の住人である。

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三津浜からの伊予小富士。興居島の南に聳える標高282mの山。山容が富士山に似ているので小富士の名がある。「日永さや~」も「瀬戸落す~」も春の小富士の光景。小富士は穏やかで明るい伊予の典型的な風景の一つである。

『なじみ集』はながく所在が不明であったが、近時出現して話題となった。子規集録のこの書の巻頭を飾るのは、大原其戎の20句。つづいて森連甫の36句。次に其齢1句、夢大(宇都宮丹靖)7句、仙女6句、江左(林江左)4句とつづいた後、其戎の長男、其然の20句が掲載されている。其戎、連甫、其然、この三人の三津の俳人は子規にとっては故郷の先達といえる存在、かれらの句によって子規は懐かしい故郷の風光を想い起こしていたのかもしれない。

【典拠文献・参考文献】
「なじみ集」翻刻版編集会編『「なじみ集」翻刻版』松山市立子規記念博物館 2012年3月

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うば桜満開

大宝寺のうば桜満開(4月1日撮影)。
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「悪」を名のる川

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松山市高井町にある小さな橋

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橋の名称=「あくしゃかわはし」

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「あくしゃかわ」の漢字表記=「悪社川」

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この川は「悪社川」という名称である。

『久米郷土誌』にこの川の名についての記述がある。

悪社の悪は悪いという意味でなく、強いとかたけだけしい、荒々しいという意味なので、この川がもとは大変な荒れ川であったからこの名が付いたとも言われるが、それでは社の説明がつかない。(中略)この川の上流の悪社という所は、土が鉄分を含んで赤味を帯びており、ここから流れ出る水もまた赤味を帯びる。また悪社谷には多々良(むかし、鉄を製鋳した炉)の跡らしいものも発見されている。赤池とか赤坂とかいう地名も、この川の近くにある。これから考えると、土か水の色から赤赭(あかしゃ。赭は赤土、また赤)の名が付き、アカシャがアクシャになまったのではないか、とも考えられ、この説の方がもっともらしく思われる。(『久米郷土誌』)

「あくしゃ」は「あかしゃ(赤赭)」の転訛とみるのが妥当のようである。その「あくしゃ」に「悪社」の字があてられたのは、深い理由があってのことではなかったのであろう。

【参考文献】
久米郷土誌編集委員会編『久米郷土誌』久米公民館 1992年3月

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『なじみ集』-「松山」の前書の句

正岡子規自筆自輯の選句稿『なじみ集』には、「松山」の前書をもつ句が2句ある。

  松山
緋の蕪(ひのかぶら)生石(いくし)竹原霜寒し
  松山
凩(こがらし)や魚売る妹(いも)が御用櫃(ごようびつ


ともに内藤鳴雪の句。「緋の蕪」は松山城の天守閣が見えるところでないととれないといわれる伊予緋かぶ。これを漬物にした緋の蕪漬は古くから松山の特産品であった。「生石」「竹原」は現在は市街地であるが、明治の当時は農地で秋作に緋の蕪の栽培をおこなっていたのであろう。後の句は「松前(まさき)のおたたさん」を詠んだものと思われる。「おたたさん」というのは松山の南西、松前地方の魚売りの女性行商人のことで、その販売網は松山の城下にも及んでいた。魚を入れた御用櫃を頭上にのせて売り歩くそのスタイルは当地方の名物でもあった。

『なじみ集』の総句数は4378句。そのうち鳴雪の句は583句で個人別では最も多い。

【典拠文献・参考文献】
『「なじみ集」翻刻版』松山市立子規記念博物館 2012年3月

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「さくらづか」(三津厳島神社)

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三津厳島神社(松山市神田町)の境内にある江戸時代建立の句碑。正面に万葉仮名で「紗空楽都閑」、左側面に「木のもとにしるも膾もさくら哉 芭蕉」、右側面に「はつざくら華の世の中よかりけり 樗堂」、裏面に「文化十二年乙亥三月」とある。「紗空楽都閑」は「さくらづか(桜塚)」の読み。「木(こ)のもとに~」は元禄3年(1690)3月2日、伊賀上野の小川風麦亭での芭蕉の句。「しる(汁)も膾(なます)も」は当時の慣用句で「何もかも」の意だという。「はつざくら(初桜)~」の句の作者は松山の俳人栗田樗堂(ちょどう)、酒造家廉屋の七代目で本名政範。句碑の建立年「文化十二年乙亥」は西暦1815年で、樗堂死去の翌年にあたる。この句碑は栗田家と姻戚関係のある三津の松田家(唐津屋)が樗堂の一周忌に際して建てたものではないかといわれている。

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三津厳島神社境内の桜

【参考文献】
森元四郎『椿守り 森元四郎著作集』2003年12月
山本健吉『芭蕉全発句』講談社学術文庫 2012年2月

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