子規の祖父、大原観山

大原観山(1818-1875)は本名有恒、通称武右衛門、号三寅また観山。三津御船手加藤重孝の次男で、姉の婚家、大原氏の養嗣子となる。はじめ藩黌明教館で日下伯巌などに学び、のち江戸に出て昌平黌に入った。帰郷後は明教館の教授を務め、維新の後は自邸で私塾をひらいた。妻重(しげ 歌原松陽の娘)との間には四男三女。その長女八重が正岡常尚に嫁して生まれたのが子規であるから、観山は子規の外祖父ということになる。

観山は藩主定昭の御用達となり、維新動乱の折りには混迷する藩論を新政府への恭順を是とする方向に導いた。定昭死去後の継嗣問題についても、異姓の人を迎えるべからずとする観山の建言が最終的には藩の容れるところとなった。

維新前後、藩のために力を尽くした観山であったが、家庭生活は清貧そのものであった。観山の三男恒忠(加藤拓川)は当時の大原家の経済状態を伝える次のようなエピソードを書き残している。

明治六年の暮なりしと覚ゆ、余は我父の御肩をたゝきける時、唐人町の田中屋金兵衛つかつかと入り来り「先生利息だけでも貰ひませう」と申しければ父は少しく当惑の態にて「金兵衛誠に申訳なけれど此暮はまだ餅も搗き得ず、子供の紙鳶買ってやる銭さへも無し、春になれば屹と幾分を納むべければ暫く我慢してくれ」といはれしに暫く黙止したる金兵衛は突然立て手水鉢の水を庭に投放して、「凧や餅は此方に関係なし、私はこれでも戴いて行きます」と周囲六尺に余る銅盤を両手に抱へて去れり。父は母に向ひ「金兵衛はいつも淡泊な男ぢゃのー」と笑ひ給ひ我母は黙して納戸に入りて独り泣き給へり、程なく我弟は外より帰り来りて「とゝさま早く凧買って下さい」と迫れり、其翌元朝雑煮の味のまづかりしこと今も忘るゝ能はず、斯くて余はいかにしても手水鉢を取戻して我父を慰め奉らんとおもひしものから、昼は米を搗き夜は単語篇(小学教科書)を写し数ヶ月の後見事田中屋より手水鉢を持帰りたるに我父不興の御顔色にて「誰に頼まれてそんな事をした、そんなケチな根性で行末出世ができると思ふか」と痛く余を叱り給へり、当時米搗賃一臼二銭五厘、単語篇写字料一部七銭にて筆紙の代を引けば三四銭の利益なりし、今更おもへば哀れなる思出の種なりけり。


借金のかたに庭の手水鉢までとられる始末であった。このエピソードを伝えた恒忠も社会的な地位(外交官、衆議院議員、松山市長など)はあったが、生活は極めて質素。観山の孫、子規も清貧の生涯といえるものであった。

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「大原観山住居跡」(松山市三番町三丁目)
正岡子規は数え年7歳のころ、ここにあった観山の家に素読を学びにかよった。

【典拠文献・参考文献】
柳原極堂『友人子規』前田出版社 1943年2月

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大原観山「升に教えるのは楽しみじゃ」

正岡子規は数え年7歳のころ、祖父大原観山の家に素読を学びにかよった。子規の覚えはよく、観山は教えるのが楽しみだと言った。

小学校へ行くその前に、祖父の処へ素読に参りますが、朝暗いうちに起しますから、なかなか起きませんので、毎朝毎朝蜜柑やお菓子を手に持たしては目をさまさせます。そうせんと起きませんのよ。祖父は大変升(のぼる)を可愛がりまして、升はなんぼたんと教えてやっても覚えるけれ、教えてやるのが楽しみじゃというておりました。(正岡八重談・碧梧桐記「母堂の談話」)


だが、子規は勉学にはあまり熱心ではなかった。あるとき観山は「自分が幼いころもお前ほどは遊ばなかった」と言って子規を発奮せしめた。

余幼より懶惰、学を修めず。八、九歳の頃、観山翁、余を誡めて「余の幼なる時も汝程は遊ばざりし」といはれし時には多少の感触を起したり。翁は一藩の儒宗にして人の尊敬する所たり。余常に之を見聞する故に後来学者となりて翁の右に出でんと思へり。(正岡子規『筆まかせ』第一編「当惜分陰」)


その観山が病没したのは明治8年(1875)4月11日、子規数え年9歳のときであった。観山の病状が悪化してからは、近親者の大人はいうに及ばず、子供までが大原家につめて看護したという。

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松山市一番町の萬翠荘敷地内に保存されている観山・子規ゆかりの庭石。
二人はこの庭石の上で囲碁を楽しんだと伝えられている。

【典拠文献・参考文献】
『子規全集』第10巻(初期随筆)講談社 1975年5月
『子規全集』別巻2(回想の子規1)講談社 1975年9月

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正岡子規の英語力

子規は自分に英語の力がないと再三述べているが、「子規の英語力は決して馬鹿にしたものではなかった」とドナルド・キーンはいう。子規は英語の難解な文学作品も原書で読む力を持っていたし、英文を書く力も有していた。子規が明治25年(1892)に書いた英文エッセーBaseo as a Poet(「詩人としての芭蕉」)には、英語の間違いがほとんどないとキーン氏は指摘している。子規が英語の力がないと自身で述べているのは、親友・夏目漱石の天才的な英語力と比べれば、ということであったのかもしれない。

【参考文献】
ドナルド・キーン 角地幸男訳「正岡子規(第二回)」(新潮2011年2月号)

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「朝寒やひとり墓前にうづくまる」

朝寒(あさざむ)やひとり墓前にうづくまる


正岡子規、明治28年(1895)秋の句。前書には「観山翁の墓に詣でゝ」とある。子規は祖父大原観山(1818-1875)を敬愛していた。観山の墓に詣でたこの日、子規の胸中には祖父の思い出が種々去来したに違いない。

観山の墓は現在、山越の来迎寺にあるが、柳原極堂『友人子規』に「観山の墓は初め其菩提寺松山市湊町四丁目の裏の正安寺に在りしが、其五十年祭に当りて拓川(注-観山の三男加藤恒忠)は姪大原尚恒と計り之を山越来迎寺に移した」とあるから、明治28年に子規が詣でた時点では、正安寺にあったのだろう。両寺はともに浄土宗の寺である。

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楽邦山正安寺(湊町四丁目)

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西宮山来迎寺(御幸一丁目)

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大原観山の墓。側面には「容止端正 学殖渕深 待人甚恕 責己最厳 其学其徳 何人不欽」の銘がある。「容止は端正にして 学殖は渕深なり 人を待つこと甚だ恕にして 己を責むること最も厳なり その学その徳 何人か欽(した)はざらん」。「容止」は立居振舞、「恕」は寛容、「欽」は尊敬して慕うの意である。

【典拠文献・参考文献】
柳原極堂『友人子規』前田出版社 1943年2月
『子規全集』第2巻(俳句2)講談社 1975年6月
松山市教育委員会編『俳句の里 松山』松山市役所 1994年4月

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「粟の穂のこゝを叩くなこの墓を」

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松山市末広町の正宗寺にある正岡家の墓。碑表には「正岡氏累代墓 月光院常堅慧照居士 妍光院月窓慧雲大姉」とある。「月光院常堅慧照居士」は子規の父、常尚(隼太)、「妍光院月窓慧雲大姉」は常尚の先妻である(子規は後妻八重の子)。この墓はもと柳井町三丁目の法龍寺にあったが、昭和2年(1927)、子規の母八重の分骨を納めるに際し、正宗寺の「子規髪塔」南隣りに移された。

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柳井町三丁目の法龍寺にある「正岡家旧墓址」碑。

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法龍寺の門前にある「粟の穂のこゝを叩くなこの墓を」の子規句碑。句は明治28年(1895)秋の作。当時、法龍寺にあった正岡家の墓に参じての句で、『寒山落木』には同句に「法龍寺に至り家君の墓を尋ぬれば今は畑中の荒地とかはりはてたるにそゞろ涙の催されて」の前書がある。子規にとってこの墓は「家君の墓」=父常尚の墓であった。この頃の子規には自身を「不孝の子」であったとする思いが生じていたようで、29年発表の新体詩「父の墓」には「父上許したまひてよ われは不孝の子なりけり」の一節が見える。

【典拠文献・参考文献】
『子規全集』第2巻(俳句2)講談社 1975年6月
『子規全集』第8巻(漢詩 新体詩)講談社 1976年7月
松山市教育委員会編『俳句の里 松山』松山市役所 1994年4月

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