子規「五色そうめん」の句

   ある人に国産の素麺を贈るとて
文月のものよ五色の糸素麺
   ある人に国産の素麺を贈らんと思ひしに秋になりて其品届きけるに
江戸の秋に四国の夏の届きけり


子規、明治26年(1893)の句。前書の「国産」は故郷(松山)の特産の意。「松山名産の五色そうめんを贈ろうと思って取り寄せたのだが、それが秋になって届いた。五色そうめんは夏七月(文月)の味なのに」が前書と句の意である。松山地方は古くから小麦の産地で、小麦粉を原料とするそうめんも江戸時代からその特産品であった。老舗森川(代替りで小西を名のっていた時期もある。子規在世当時は小西)の五色そうめんは有名で、上引から窺えるように、子規も贈り物として重宝していた。歌人・長塚節も松山に来遊したおり、気に入って買い求めたことがその書簡(明治45年7月24日付・長塚源次郎宛)に見える。

【典拠文献・参考文献】
『子規全集』第1巻(俳句1)講談社 1975年12月
和田茂樹『子規の素顔』愛媛文化振興財団 1998年3月

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テーマ : 詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など
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松山市考古館の古代ハス

中国・大連市の遺跡から出土した約千年前のハスの種子を譲り受け、育成したもの。
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朝風やぱくりぱくりと蓮開く 子規(明治29年)


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其中に若し甘露もや蓮の露 子規(明治29年)


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長かれと水の下にて蓮を剪る 子規(明治30年)


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世の中の朝飯前や蓮清し 子規(明治31年)


【典拠文献】
『子規全集』第2巻(俳句2)講談社 1975年6月
『子規全集』第3巻(俳句3)講談社 1977年11月

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子規「上野山」の歌

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上野山日くれて虎の吠ゆるなり虎かひ人や餌をわすれけん
上野山夕越え来れば森暗みけだもの吠ゆるけだものゝ園


二首ともに子規、明治33年(1900)の歌。上野動物園から聞こえてくる猛獣の声を詠んだものである。雅の世界とはほど遠い猛獣の声……伝統的な歌壇の常識では考えられないような歌材であるが、どんなものでも歌の素材になるというのが子規の考えであり、それを実践して見せたのが子規晩年の歌業であったといえるであろう。

〔画像は愛媛県立とべ動物園〕

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「犀の角のように」

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愛媛県立とべ動物園のクロサイ(野生種の生息地アフリカ)、角は2本。インドサイは角が1本である。仏典『スッタニパータ』には「犀の角のようにただ独り歩め」という教えがある。

あらゆる生きものに対して暴力を加えることなく、あらゆる生きもののいずれをも悩ますことなく、また子を欲するなかれ。況んや朋友をや。犀の角のようにただ独り歩め。
交わりをしたならば愛情が生ずる。愛情にしたがってこの苦しみが起る。愛情から禍いの生ずることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。
朋友・親友に憐れみをかけ、心がほだされると、おのが利を失う。親しみにはこの恐れのあることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。(以下略)


『スッタニパータ』は仏典の中で最も成立の古いものといわれる。「犀の角のように」というのは、犀(インドサイ)の角が一つしかないように、求道者は他の人々からの毀誉褒貶にわずらわされることなく、ただひとりでも、自分の確信にしたがって、暮らすようにせよ、の意であるという(中村元)。

【典拠文献・参考文献】
中村元訳『ブッダのことば スッタニパータ』岩波文庫(改版) 1984年5月

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『吾輩は猫である』に見える日露戦争(1)

夏目漱石の『吾輩は猫である』が雑誌「ホトトギス」に連載されたのは、明治38年(1905)の1月から翌年の8月まで。日露戦争は37年2月から38年9月までつづいたから、『猫』はこの戦争と同時期の作品ということになる。社会風刺的な要素もあるこの作品、同時代の日露戦争についても幾たびかの言及がなされている。以下、その言及箇所を列挙し、若干のコメントを付すことにしよう。

①達観しない証拠には現に吾輩の肖像が眼の前にあるのに少しも悟った様子もなく今年は征露の第二年目だから大方熊の画だらうなどと気の知れぬことをいって済して居るのでもわかる。(第二回・明治38年2月)

②寒月君はもう善い加減な時分だろ思ったものか「どうも好い天気ですな。御閑なら御一所に散歩でもしませうか。旅順が落ちたので市中は大変な景気ですよ」と促して見る。主人は旅順の陥落より女連の身元を聞きたいと云ふ顔で、しばらく考へ込んで居たが漸く決心したものと見えて「それぢゃ出ると仕様」と思ひ切って立つ。(同上)

③いつの間にか迷亭先生の手紙が来て居る。(中略)
「廿世紀の今日交通の頻繁、宴会の増加は申す迄もなく、軍国多事征露の第二年とも相成候折柄、吾人戦勝国の国民は、是非共羅馬(ローマ)人に倣って此入浴嘔吐の術を研究せざるべからざる機会に到着致し候事と自信致候。(同上)

④それから猶読んで行くと御前なんぞは実に仕合せ者だ。露西亜と戦争が始まって若い人達は大変な辛苦をして御国の為に働らいて居るのに節季師走でもお正月の様に気楽に遊んで居ると書いてある。―僕はこれでも母の思ってる様に遊んぢゃ居ないやね―其あとへ以て来て、僕の小学校時代の朋友で今度の戦争に出て死んだり負傷したものゝ名前が列挙してあるのさ。其名前を一々読んだ時には何だか世の中が味気なくなって人間もつまらないと云ふ気が起ったよ。(同上)

⑤二三日は事もなく過ぎたが、或る日の午後二時頃又迷亭先生は例の如く空々として偶然童子の如く舞ひ込んで来た。座に着くと、いきなり「君、越智東風の高輪事件を聞いたかい」と旅順陥落の号外を知らせに来た程の勢を示す。(第三回・明治38年4月)

⑥「さうさ、到底日露戦争時代のものではないな。陣笠に立葵の紋の付いたぶっ割き羽織でも着なくちゃ納まりの付かない紐だ。(中略)」と迷亭の文句は不相変(あいかわらず)長い。(同上)


①に「熊の画」とあるのは、当時、ロシアが熊に喩えられていたことを踏まえたものである。②⑤に旅順陥落についての言及。旅順のロシア軍が降伏したのは明治38年(1905)1月であった。『猫』第二回掲載の時点では、奉天会戦(同年3月)も日本海海戦(同年5月)もおこなわれていないが、③には「吾人戦勝国の国民」の文言が見える。(次回につづく)

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【典拠文献】
『漱石全集』第1巻 岩波書店 1993年12月

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