森鴎外の好物

森鴎外は饅頭をご飯の上にのせ、煎茶をかけて食べるのが好きだった。鴎外の長女・森茉莉、次女・小堀杏奴がそのことをそれぞれ次のように証言している。

私の父親は変った舌を持っていたようで、誰がきいても驚くようなものをおかずにして御飯をたべた。どこかで葬式があると昔はものすごく大きな饅頭が来た。葬式饅頭といっていたもので、ふつうのお饅頭の五倍はある平たい饅頭で、表面は、釣り忍に使うあの、忍草を白く抜いて焦がしてある。(中略)その饅頭を父は象牙色の爪の白い、綺麗な掌で二つに割り、それを又四つ位に割って御飯の上にのせ、煎茶をかけて美味しそうにたべた。 森茉莉「鴎外の味覚」(『記憶の絵』)

又父は、他家から葬式饅頭を貰うとそれを小さく割ってご飯にのせ、煎茶をかけてたべた。私たち子供は喜んで真似をしたが、母は驚いていた。 森茉莉「父の手紙」

甘い物を御飯と一緒に食べるのが好きで、私などどう考えてもそんな事は出来ないが、お饅頭を御飯の上に乗せてお茶をかけて食べたりする。 小堀杏奴『晩年の父』


「饅頭茶漬け」とでも称すべきであろうか、これはとても真似することができない。森茉莉は次のようなことも言っている。

父は変った好みを持っていてよく、餅をこんがり焼いて、細かく千切り、皿の醤油によくなじませたのをご飯の上にのせ、熱い番茶をかけたのを好んだ。それは大変に美味しいものであった。 「父の手紙」


こちらは「醤油風味の餅茶漬け」。お茶については、「饅頭茶漬け」=煎茶、「餅茶漬け」=番茶という使い分けをしていたようである。

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【参考文献・典拠文献】
小堀杏奴『晩年の父』岩波文庫 1981年9月
『森茉莉全集3 私の美の世界/記憶の絵』筑摩書房 1993年9月
『森茉莉全集7 ドッキリチャンネル(Ⅱ)』筑摩書房 1993年11月

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鴎外、食の衛生についての心がけ

ドイツの衛生学を学んだ森鴎外は、食べ物の衛生について極端なまでに神経質だった。鴎外の長女・森茉莉、次女・小堀杏奴はそうした鴎外の性癖について次のように述べている。

私の家ではコレラが流行っていない時でも、子供たちには水は一切飲ませず、果物も煮てくわせるので、私は母の実家で従姉妹たちと遊んでいるところへ女中が生の水密桃の皮を剥いたのを運んで来た。私は母が祖母や叔母たちと話し込んで夢中になっているのを幸、たべたが、世の中にこんな美味しいものがあったのかと、深く驚いたのである。 森茉莉「神戸っ子、浜っ子、江戸っ子、喫茶店「ソネ」」

朝麦湯を造って薬罐に入れる時、その薬罐に、前の日の麦湯の残りが一滴のこっていても、その日の麦湯が悪くなると、やかましく母に言った。 森茉莉「同上」

父と近所に散歩に行くとつまらなかった。私が小さな手で父の手の指をしっかりと握りしめながら、小声で「アイスクリイム、アイスクリイム」とくり返すと、決してそれを聴き届けなかった。近所の氷水屋のアイスクリームは危険だと言って、銀座の資生堂のでなくてはたべさせてくれなかった。 森茉莉「父のこと3」

パッパは十九世紀末のドイツの衛生学に凝り固まっていたので、アイスクリームはいい店のものに限って与え、果物は皆煮て、冷蔵庫で冷たくし、砂糖をかけて、与えた。 森茉莉「同上」

父は番茶を大変に清潔なものとしていて、母と小倉に新婚旅行をした時、汽車の中で母が朝、洗面所に行こうとすると「汽車の洗面所の水も水道の栓も不潔だ。番茶でうがいをしておけ」と言ったそうだ。 森茉莉「同上」

衛生という事についてひどく神経質で、自分の家で作るもの以外は用心して食べる。精養軒などに行っても、どろどろしたマヨネズのようなものは食べない方がいいとよく私たちに注意してくれた。どろどろした物ほど人の手を多く経ているから、それだけ不潔だというのである。 小堀杏奴『晩年の父』


コレラや食中毒に対する用心からか、鴎外は「不潔」と思われる食品を徹底して避けた。森茉莉によると、そんな鴎外の家庭での口癖は「整理整頓」と「清潔」の二つであったという。

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【典拠文献・参考文献】
小堀杏奴『晩年の父』岩波文庫 1981年9月
『森茉莉全集6 ドッキリチャンネル(Ⅰ)』筑摩書房 1993年10月
『森茉莉全集7 ドッキリチャンネル(Ⅱ)』筑摩書房 1993年11月

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太山寺

太山寺(松山市太山寺町) 四国霊場五十二番札所 真言宗智山派
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仁王門(重要文化財) 鎌倉時代の特色を伝える建造物。

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仁王門から本堂に至る参道(約500m)。
子供のころから遠足などで何度も訪れたことのある太山寺だが、この参道周辺の光景はほとんど変わっていない。市内で昔のままの光景が残っているのはここぐらいではなかろうか。

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本堂(国宝) 鎌倉末期の建築。

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ロシア人墓地

「ロシア人墓地」(松山市御幸1丁目)
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松山には日露戦争で捕虜となったロシア兵の収容所があった(松山俘虜収容所)。市内の寺院、公共施設、民有建物など21の建造物が収容施設。最大時には3000名台後半から4000名台前半の捕虜が松山にいたという。傷病などで死亡した98名は妙見山の頂上(現在・松山大学御幸キャンパス)に埋葬され、墓地が造られた。昭和35年(1960)、この墓地は現在地に移され、ロシア人墓地と呼ばれている。

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墓地の清掃は市民ボランティアがおこなっている。

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どの墓にも花が供えられている。

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三輪田米山「玉潤金聲」(福水神社の注連石)

福水神社(松山市別府町)の注連石。
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刻銘は三輪田米山六十六歳の書で「玉潤」「金聲」。

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「玉潤」(玉の光沢があること。美しい人格の譬喩)

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「金聲」(鐘や鉦の音。善言を吐く声)

「玉潤金聲」は班孟堅「東都賦」の「莫不優游而自得 玉潤而金声(優游して自得し、玉のごとく潤うて、金のごとく声〈な〉らざるはなし)」に依拠したものであろう。「莫不~」は「心ゆたかに、迷う心もなくなって、玉の光沢があるように美しく、鉦の鳴るような道義の言を吐く」の意。

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碑陰「氏子中」 おさめ点(補点)が二つ施されている。

【参考文献】
中島千秋『文選(賦篇)上』(新釈漢文大系79)明治書院 1977年1月

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