三輪田米山、大宝寺の桜を見に行く

三輪田米山(日尾八幡神社祀官・書家)の日記、嘉永4年3月5日(1851年4月6日)条に大宝寺の桜を見に行ったとの記述がある。

(嘉永四年)三月五日 木村の誘ひによって西山大宝寺へ桜狩りに行く。制札に、この花を折る時は仏の心にかなはざるよし記しければ、それにくくりつけたる、
みほとけもさこそあはれと思ふらしかくたぐひなき花の盛りは


大宝寺を訪れた米山、境内の立て札に「桜の枝を折るのは仏の心にたがうおこない」とあるのを見て、「みほとけも~」と詠み、短冊に記してその札に括りつけたのであった。米山このとき30歳、大酒家としてののちのイメージとは異なり、このときは純然風雅の人、古の貴紳を思わせるようなふるまいであった。

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大宝寺(松山市南江戸5丁目)の「うば桜」。

【参考文献】
松山市史料集編集委員会編『松山市史料集 第八巻』1984年4月

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三輪田米山の石文

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高井神社(松山市南高井町)の神名石
 「高井神社」(米山72歳の書)。

波賀部神社(同・南高井町)の神名石
 「国史見在 波賀部神社」(69歳)

軍森神社(同・来住町)の神名石
 「邨社 軍森神社」(71歳)

龍神社(同・久米窪田町)の鳥居
 「久米郡中幷當邨」「奉献」(47歳)

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三輪田米山「高井八幡宮」の神名石

▼ 高井八幡宮(松山市高井町)の神名石
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三輪田米山七十二歳の書で「高井八幡宮」。50枚も70枚も書いたものの中からとった文字であるという。

【参考文献】
久米郷土誌編集委員会編『久米郷土誌』久米公民館 1992年3月

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明治9年5月23日、三輪田米山、道後での写真撮影

明治9年(1876)5月23日、久米郡日尾八幡神社の祀官・三輪田米山(1821-1908)は母、二人の娘とともに人力車に乗って道後温泉に行った。同日の米山の日記。

廿三日 雨やみ晴天
(中略)十時、飯して弍人人力車ニ母堂、娘鶴子、壱人車ニ予、次ノ娘梅子ト四人道後へ行。留守守ニ於蝶ヲ頼、留守にてすし酒などのますなりにいたし置。母堂、道後へは六十年目ノ御入湯也。以前とちがひし事御驚有之(これあり)。


米山の母にとっては60年ぶりの道後温泉。明治5年の時点で道後温泉の本館が二階建てに改修されていたから、その変わりように母は驚く。米山日記同日条にはつづいて写真撮影の記事。

予が像をもうつし度(たく)、野口にて神庫の甲冑をかる。野口にて弁当、もちを食し終て行。松本の別荘の二階にて母堂中、左右姉つる子・妹梅子、両人の孫ヲ左右にし給ひし処ヲ写真にて写、かみうつしへとるなりにいたす。また、予が像ヲ甲冑ヲ着しうつす。松本と野口光凱養子ト両人して甲冑ヲつける。此時、隣家見物之人夥し。内へこみ入事を断、障子ヲたつれども猶上への方より見物す。(中略)人々、いかりを含み、歯をくひしばるべしと云。予云、百万騎ヲ卒ひ候節、何ぞつくろはん。平気の平左衛門、よろしかるべしと云てうつむ。(中略)甲冑ハ旧松山先君天慶院殿ノ奉納也。当時、伊佐爾波神社祠官・野口光凱ハわが朋友故、借用せし也。


この日、米山が楽しみにしていたのは写真を撮ってもらうことであった。伊佐爾波神社祠官・野口光凱から甲冑を借りて身につけ、撮影にのぞむ。見物の人々が集まり、「怒りを浮かべて、歯を食いしばれ」と声がかかる。米山応じて、「百万騎を率いる大将だから、わざとらしい顔つきなど無用。平気の平左衛門でいいのだ」という。甲冑は旧松山藩主が伊佐爾波神社に奉納した品。同神社の野口光凱は米山の友人であったので、この日借用したのであった。神職であるにもかかわらず甲冑姿での写真撮影。三輪田米山は何ともおかしな人であるが、書にかけては無類の名人、「我国近世五百年間不世出の大書家」(山本發次郎)とも評される人物であった。

▼ 米山の代表作「鳥舞魚躍」(日尾八幡神社注連石)
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【参考文献】
『山本發次郎遺稿』山發産業株式会社 1953年9月
三浦和尚・福田安典『三輪田米山日記を読む』創風社出版 2011年8月

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三輪田米山「天地一指」の注連石

▼ 客王神社(松山市下伊台)の注連石
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三輪田米山の書で「天地一指」。

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「天地一指」の出典は『荘子』。その斉物論篇第二に「天地一指也 万物一馬也(天地は一指なり、万物は一馬なり)」とある。「天地の大も指一本とおなじであり、万物の多も馬一匹とひとしい」という意。

▼ 注連石碑陰
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「氏子中」の刻字。補点(おさめ点)が二つ施されている。

【参考文献】
福永光司『荘子内篇』講談社学術文庫 2011年7月

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